かつては社会問題の「3K」といえば、悪辣な労働環境である「危険」「汚い」「キツい」のことでした。私は、いまの時代の3Kは、「健康」「金銭」「孤独」ではないかと思っています。「健康で長生きしたい」「安心して暮らせるだけのお金がほしい」「孤独になりたくない」といったことが、現代人の三大関心事というわけです。

この3つはどれも大事といえば大事ですが、かといって努力すれば必ずなんとかなるというものでもないでしょう。普段から健康に気を使っていてもガンになる人はなるし、事故や大病で貯金が一気に底を突くこともある。孤独も同じで、家族や友人に囲まれているから孤独感を味わわないで済むということにはならないのです。

世の中というのはしょせん不条理。「思いどおりにいかない」と嘆くより、「どれかが足りなくても全体のバランスが取れていればいい」くらいの気持ちでいたほうが、楽に生きていける。孤独も、怯えたり無理になくそうとしたりせず、「孤独なのは当たり前なのだ」と受け入れてしまえばいいのです。

孤独の本質は和して同ぜず

だからといって「俺は孤独に生きるのだ」と、無理やり人との間に壁を築くようなことはしないほうがいいと思います。孤独というのはあくまで自分が感じるものであって、孤立することではありません。一匹狼を気取るのは相手に対する甘えですから、組織のなかでそんなことをすれば、周囲の人が迷惑します。

群れのなかで共生しながら、自分を見失わない。この和して同ぜずの精神は、ビジネスパーソンの処世にも役立ちます。たとえば、自分は野球にまったく興味がなくても、職場で同僚が「昨日は巨人が逆転で勝ったね」と言うのを耳にしたら、「そうだね、今年は調子いいみたいだね」となごやかに話を合わせておきます。これが「和して同ぜず」ということなのです。

このとき自分はサッカーが好きだから野球の話はしないという態度では、孤立が深まるばかり。人間は本来孤独であるというのは、そういうことではないのです。組織の和を大切にする一方で、「自分は最終的に1人なのだ」ということを覚悟している。こういう生き方ができれば理想的だといえます。

それから、友情は時に孤独ゆえの寂しさを癒やしてくれますが、だからといってあまり頼りすぎないほうがいいでしょう。なぜなら、夫婦もそうですが、あまり近づきすぎると、どうしても相手の見たくない部分まで目に入ってしまう。人間は誰でもその内に悪を抱えていますから、どうしてもそうならざるをえないのです。なので、大切にしたい友人ほど、あえて距離を置いて付き合うほうがいいでしょう。