万物が「真理」に従っていると考える
カーストの4つのカテゴリー(ヴァルナ)をみると、上からバラモン(宗教を担当)/クシャトリア(政治・軍事を担当)/ヴァイシャ(ビジネスを担当)/スードラ(その他を担当)、となっていて、宗教の社会的地位が高い。とてもインド的だ。
ではなぜ、宗教の社会的地位が高いのか。ヒンドゥー教という宗教から、どうしてインドの人びとの、考え方や行動様式が導かれるのか。
こういう順序になっていると思う。
まず、インドの人びとの考え方の、基本の基本。
(a)「宇宙には、真理(ダルマ)がそなわっている」
こう、深く深く考えるのが、出発点だ。
「真理」は、法律ではない。一神教では、神(God)がいて、法律を人間に与えるのだが、インドではそういう順番になっていない。まず、真理がある。これは、法則性のことで、誰かが決めたのではない。人間も、動物も、そして神々も……、万物が、宇宙のすべてが、この法則に従っている。
神々も、法則を変化させることができない。逆に、神々は、法則に支配されているのである。
真理は、宇宙を支配するのだから、普遍的である(インド人の考え方は、世界で通用すべきだ、ということである)。
この考え方は、4000年ほど前に、バラモン教としてインドに伝えられた。それがだんだん土着化して、ヒンドゥー教になった。仏教も、真理の考えをもっている。
つぎに、こう考える。真理は、この宇宙に満ち満ちている。しかし人間だけは、この真理とまるごと一体化することができる。それは、素晴らしいことで、人間としてもっとも価値あることである。
どうやって真理と一体化するか
では、どうやって、真理と一体化するのか。
瞑想する。精神集中して、自分の精神を、宇宙と一体化させる。つまり、
(b)「ミクロコスモス(精神)とマクロコスモス(真理)が一体化できる」
と深く深く信じるのが、つぎのステップだ。
実際に一体化できるのか。それができた人がいる。聖者である。聖者に聞いてみる。
「真理と一体化して、どうでしたか?」
「素晴らしい。でも、言葉では表現できない」
(c)「真理は、言葉では表現できない」
これも、インドの考え方の、重要な特徴である。
真理が言葉で表現できない。どういうことか。本を読んでもダメである。すなわち、
真理>テキスト(本)
という優劣関係が成り立つ。
これは、ほかの文明と比べて、ヒンドゥー文明の特徴だ。キリスト教でも、イスラム教でも、テキストを読むことは大事である。儒教でも、大事である。テキストに書いてあることより、大事なことはない。けれども、インドでは、本を読んでも、真理(いちばん大事な価値)には、アクセスできないのである。