日本の新聞社は不動産業だから危機感がない

翻って日本のジャーナリズムをめぐる環境はどうなのだろうか。

東京新聞の望月衣塑子さんのような非協力的な記者は官房長官に批判されるものの、特定秘密法で摘発された記者や取材先も一人もいない。記者のメールや携帯が内閣情報調査室などに監視され、情報源が逮捕されたなどといったケースは一つもない。

大げさかもしれないが、日本のメディアは天国のようにも感じられる。

とはいえ、実はアメリカとの共通点が一つだけある。特に新聞業界が極めて深刻な危機に直面しているという点だ。

毎年1月に日本新聞協会が発表する新聞発行部数を見て、さまざまな意味で驚きを覚えずにはいられない。2018年10月時点の総発行部数は、前年同月比で約5.3%、222万6613部減の3990万1576部。14年連続で減少を続けてきた結果として、初めて4000万部の大台を割り込んだ。このままならばアメリカと同じ状況、経営危機や倒産ラッシュという事態を迎えても何ら不思議ではない。

それでも日本の新聞社からはなぜか深刻さが伝わってこない。なぜなら不動産事業が、いまや新聞出版事業を上回って収益の柱になっているからだ。

たとえば朝日新聞社は、大阪・中之島の一等地に日本最高峰となる約200メートルの高層タワービルを2棟建設。加えて、東京メトロ銀座駅から徒歩約3分の東京創業の地には、商業施設の東京銀座朝日ビルディングが建てられた。

読売新聞社もプランタン銀座や読売会館などで不動産事業を展開。朝日新聞社と並んで財務状況が良好な日本経済新聞社も、東京・大手町に地上31階、地下3階の日経ビルを新築。

多角的な経営を展開する巨大グループの一部に新聞出版事業があると考えれば、新聞不況が下げ止まる兆しを見せなくても、危機感は芽生えないだろう。

アメリカでは「I」を主語にした記事が登場

インターネットは社会にすっかり浸透したが、日本の新聞業界は時代の急激な変化への対応は遅れていると言わざるをえない。アメリカを例にとれば、ネットメディアの台頭に合わせる形で、新聞記事の形態にも画期的といっていい変化が生じている。記者の署名を入れることと並ぶ変化の象徴が、主語を「I」とする表現方法だ。

新聞記者は20世紀の時代から、何よりも客観性を求められてきた。ゆえに主観的な視点に立って「私は――」と書く記事はタブー視されてきた。しかし、情報源が多様になればなるほど記事を書く記者の存在がよくも悪くも注目されるようになった。

長く日本のメディアを見てきて強く感じることは、調査報道の対極に位置するアクセス・ジャーナリズムに、あまりにも重きが置かれすぎている点だ。危うさに気づかず、取材対象者との円滑なコミュニケーションをキープしておくのが当然、問題意識さえ抱いていないように思えてならない。

アメリカにはイラク戦争へと至る過程で、アクセス・ジャーナリズムに盲目的に頼り切り、結果として開戦への口実を作ることに手を貸してしまった苦い失敗がある。