“次”に向かうとき邪魔になるのが、捨てられぬ経験・記憶。それをあえて捨て続けてきたプロ経営者に、その哲学をきいた。

振られた女性を忘れるためには

「明日のために、今日何かをするなんて考えもしません。僕は、一瞬一瞬を生きていますから」

飄々とそう語るのは、百貨店業界を皮切りに、いくつもの企業のトップを歴任してきた“プロ経営者”中野善壽氏だ。

とりわけ、寺田倉庫CEOとしての手腕は際立っていた。2012年のCEO就任後、1400人の従業員を100人程度にまで削減する大リストラを断行。美術品、ワインなどの貴重品を預かる富裕層対象のサービスや、段ボール1箱から荷物を預けられるサービスなど、従来の倉庫業務の枠を超えたビジネスを展開、同社の業績を回復させた。

長身痩躯の75歳。その若々しさとファッションセンス以上に、60年を超える歴史を持つ企業の事業構造を大転換させた人物が、日々において「明日のことを考えない」とはちょっと驚きだ。

とかく人は過去にとらわれ、記憶に煩わされる。思い切った判断・行動が“言うは易く、行うに難い”のは、まさに諸々の些事を「忘れられない」からだろう。

だが、「時間は繋がっているようでいて、実は断片的なものです」という中野氏は、そのあたりの逡巡とは無縁のようだ。

「時間が連続したものと思い込んでいるから、明日のこと、昨日のことが気になるんですよ。明日、何が起こるかは予想がつかないし、明日が来るかどうかさえわからない。考えるだけ、時間と労力の無駄です」

過去についても同様だ。過ぎ去った昨日は取り戻せない。

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「振られた女性が忘れられない、という人がいますね。忘れる一番いい方法は、新しい、大好きな彼女に出会うことです。単純ですが、これはすべてに通じると思います」

本能的に、人は夢中になれることがあれば、ほかの余計なことは自然と脳から排除されていくのではないかという。

「一瞬に集中する、大好きなその一瞬にすべてをかけていれば、余計なことを気にかける余裕などなくなります。僕は常にそうしています」

毎朝5時半に目覚めると、ベッドの中でテレビの経済ニュースを一通り見る。それから風呂に入り、その日にすべきことを考える。スケジュール表を見るのはその後だ。必要と思えば予定を組み替えてしまう。「だから僕は、ドタキャンが多い」といいながらも、「今日」を大事にする中野氏にとって、それが重要な日課になっている。

使えない知識に安らぎを覚えてしまう

中野氏は、モノを持たないミニマリストとしても知られる。家も車もない、腕時計さえ持たない。お金も、余分な稼ぎは寄付してしまう。「ビジネスというゲームが一番の趣味」だから、ほかは何もいらないのだという。

「蓄積は習慣であって、習慣は人を縛る」と考える中野氏は、知識についても「溜め込む学習」をよしとしない。