筆者はシヤチハタに対して全く悪意はない。むしろ好意を持っている。業務で毎日シヤチハタのハンコを押している身であり、同社の技術力とブランドには全幅の信頼を置いている。ただ、組織行動論を専門とする経営学者として本事例への一連の対応を見たときに、企業がSNSで形成された世論に乗っかって意思決定をすることについての違和感を強く覚える。

SNS世論に乗じる企業の責任は議論されているか

うがった見方をしてみよう。同社の一連の対応が社会に対して社名と製品力を売り込むことを目的とした広報活動と考えるのであれば、リツイートの件数は軽く1万を超えていることからも、広報効果としては大成功と評価できる。

痴漢撃退を解決すべき社会課題として考え取り組むことは素晴らしい。多くの痴漢に悩んでいる女性たちに寄り添い、何らかの行動を取ろうという精神には何の異存もない。痴漢は卑劣な犯罪であるし、その撲滅を心から願っている。

しかし、その解決方法が「痴漢の烙印作り」であるというのなら、首をかしげてしまう。企業が行う意思決定の周りには、さまざまな角度からの検討があって然るべきである。筆者が示したような不安も、多くの男性社員が同様に持ったことだろう。

冤罪を生む可能性のある道具を世に出すという、企業の責任についての議論も社内でされているはずである。その上で「現在開発中」の情報発信となるのが筋だろう。

ところが、現状において目立つのは、この種の可能性を、多角的に検討していることよりも、「女性社員が中心となって痴漢撃退の新製品案を練っている」であり(JCAST ニュース 5月27日)、「ジョークではなく本気です」という女性担当者のTwitterでの宣言である。

多様な意見が封じられる「傍観者効果」

公表されている同社の意思決定の軌跡を見ていると、本事例は視座が被害者女性にのみ置かれているように見える。そしてこの視座の偏りは「傍観者効果」の影響だと考えると分かりやすい。

傍観者効果とは、本来はある問題に対応しなくてはいけないのに行わず、フリーズした状態にあることを示す。傍観者効果が発生すると集団内の行動は停止する。そして、この種の現象は企業によく発生する。

一般に傍観者効果の発生要因は3つある。1つは、大した問題ではないと目前の事象を思い込むこと。2つ目は、多くの人がいるからこそ「自分がやらなくても誰かがやってくれる」と、責任を他人に分散して考えること。最後は、周囲から「なんだあいつ」と悪い評価を受けることを恐れ、反対を唱えないことである。