将来のために、いま何を学べばいいのだろうか。80歳からプログラミングを学び、今や「現役最高齢プログラマー」の若宮正子さんは、「やりたくないのに、無理してプログラミングを学ぶ必要はない」という。その理由とは――。

※本稿は、若宮正子『独学のススメ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。お札を数え間違える私が、銀行の管理職になったワケ

※写真はイメージです(写真=iStock.com/DragonImages)

お札を数え間違える私が、銀行の管理職になったワケ

私が三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職したのは1954年、18歳のときです。まだ、当時の日本では、製造業では機械化が進み始めていたものの「デスクワーク」は江戸時代とあまり変わっていませんでした。「計算はそろばんで、字を書くときは、ペンにインクをつけて、お札を数えるのは指で」やっていました。もともと不器用な私は、あまり「役に立つ存在」ではありませんでした。こういう手仕事を、すばやく正確に黙々とやる、そう、今のロボットさんに最も近いひとが「優秀社員」だったのです。

そのうちアメリカから電気計算機がやってきました。そうしたら、そろばんはいらなくなったのです。さらに、機械化が進むと、お札を数える紙幣計算機も導入されました。私は、お札を数えたり計算したりするのが苦手だったので、この変化を嬉しく思いました。

そして、時代の変化に合わせて銀行の業務は多角化していきました。その流れを受け、私は業務企画部門に所属することになりました。

お札を数えるのは遅くても、企画業務は性に合っていました。「役に立てない」と落ち込んでいた新人時代とは打って変わって、40代くらいから仕事にのめり込んでいきました。

私が入行して30年ほどたった1986年、男女雇用機会均等法が施行されました。少しずつですが、女性も管理職に昇進するケースが現れ、私もありがたいことに管理職になることができました。

これは、ひとえに世の中が変化したからです。女性の雇用環境の変化もそうですし、お札を手で数える業務のままだったら、私は全然評価されずに終わったでしょう。どんな能力が評価されるかは、社会や技術の変化で変わっていくのです。

働き方も変わってきている

少しずつですが、働き方についての意識も変わってきていますよね。今から30年ほど前には、「24時間戦えますか?」というビジネスマンが主役の栄養ドリンクのCMが流れていました。でも、今そんなCMを流したら「ブラック企業だ」と非難されるでしょう。

昔は遅くまで働くひとは頑張っているとみなされ、残業代で給料も増えました。でも今は長時間労働はよくないとされています。一昔前までは上司より先に帰宅するのはよくないと思って仕事が終わった後も帰らなかったひとがいましたが、今は決められた時間内に効率よく業務を終わらせる、そういうひとのほうが、評価されるようになったのです。