かつて映画や舞台で活躍した女優、小山明子は私の母親である。多くの一般家庭と同様、わが家でも親の仕事の話などはあまり出なかったのだが、ある日、母が教えてくれたこんな言い回しがある。
「一に口跡(こうせき)、二に容姿、三、四がなくて五に演技」。役者に求められる資質の順番だそうだ。口跡とは声の出し方、使い方のこと。ルックスや演技よりも、美しいよく通る声で話すことが第一ということらしい。この話が子どもの私の記憶に残ったのは、やはり意外だったからだろう。容姿より声という順序がどうにも腑に落ちなかったのだ。
「声は素晴らしい道具である。声は人間の社会で大きな役割を果たしているのに、その事実が十分に認識されていないのだ」(「あとがき」より)。声の過小評価に対するもどかしさが執筆動機になったという本書は、生物学、心理学、社会学、文化人類学など、さまざまな角度から声を分析した1冊である。
第1部は主に生物学的視点からのアプローチだ。咽頭(いわゆる喉)を空気が通るとき、そこにある左右一対の襞(=声帯)が震えれば音が出る。声帯の厚さや長さ、張りの強さによって声の周波数は決まる。声の質を決めるのは声帯の形状だけでなく、空気が通る声道(喉から上全部)の状態であり、顎、舌、唇や体の姿勢まで関わってくる。
意外なことに、消化器官や呼吸器官と並ぶような「音声言語器官」と呼べるものは人間にはないそうだ。すでに存在する器官を巧みに組み合わせ、声を出す。一瞬のうちに行われる体内各部の無意識の連係プレーには驚くばかりだ。
第2部は文化や性差といった横軸で、第3部は主に時代の流れという縦軸で、声の役割・機能に迫っている。問題の深刻さを強調したいとき、中国人は声を低くしたり、小さくしたりする傾向があるが、アメリカ人は高く、大きい声で話す。
こうした文化比較では、もちろんわが日本もしっかり登場している。日本人の相づちを打つ回数はイギリス人の2倍だそうだ。話し手は聞き手が相づちを打ちやすいように、打つタイミングを声の調子で合図していることすらあるという。
話すピッチがコミュニケーションに大きく影響することも豊富な事例で説明される。マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な「私には夢がある」の演説は、はじめが1分間に92語だったのが、終わりには145語までペースが上がった。聴衆の興奮と連動しているかのようである。文字にして読むことと、その声を含めて受けとめることの違いを改めて感じさせる例だ。
先行研究、そして筆者自身のインタビューから多様な論点が提示されていて、声の重要性を読者に知らせるという点で本書は十分な成功を収めている。歴代の政治家が話し方、声の出し方でどれほど苦労したかなど、エピソードも豊富で、読み物としても十分楽しめるものだ。
ただ、研究結果の出典が不明のもの(ある調査では……というような言い方)も多く、たとえば脳科学の本を読んだときのような、「そうだったのか」感にはやや欠けるかもしれない。また、本書はいわゆるハウ・ツー本ではない。精読しても、古舘伊知郎や滝川クリステルの声になる方法や、異性を惹きつける声の出し方などは身に付かないので、念のため。