そうした没頭体験をしていると、今そこに集中する自分以外の余計な感情が自分から消えていく、と矢作さんは語る。では、「中今」の状態になるほど好きなものがない場合はどうすればいいのか。
「没頭」する時間が、日常を“別物”にする
「なろうと思って中今の状態になれるわけではありませんし、その状態になれないことが悪いわけではありません。特に熱中できることがなければ、例えば、料理をしたり、軽い運動で体を動かしたりしてはどうでしょうか」
食材を切り、焼き、煮炊きし、味付けする。火加減に注意する。一連の動きには集中力が必要だ。そのことで「今の自分」を楽しむことができる。運動も同じだ。ウオーキングやジョギングをすることで自らの「呼吸」を意識する。余計なことは考えないですむ。
「簡単にできることで言えば、エスカレーターではなく階段の上り下りもそうです。自然と一段一段に意識が向きます。スクワットや腕立て伏せもいい。あとはスポーツではなく、運動です。スポーツは、勝負です。若い人はともかく、大人はゲームで感情を波立たせても意味がありません。過度なスポーツは体に大きな負荷がかかり老化が早まります。だから自分のペースで好きな運動をすればいいのです。それが『中今』にもつながる。そもそも日本人は、昔からよく歩いていたのです。なにか用事があると、平気で数十キロ歩いた。広い大江戸八百八町を『桜を楽しみたい』と言って東京の南から北まで平気で歩いたのです」
全身を動かすことは、矢作さん自身も実践している。気が向くとロードバイクで近場では箱根往復、少し足を延ばして名古屋までひとりで走りにいくことがあるのだ。また、息があがらない程度のペースで、数十キロの長い距離を走るランニング「ロングスローディスタンス」も空いた時間にしているという。そうやって無我夢中で運動をし、汗を流しているときは、たとえひとりであっても充実感がみなぎり、何ともいえない爽快感に満たされるという。
「今日も私は息をして、生きている。生かされている。心と体に『ありがとうございます』という感謝の気持ちが自然と湧き上がってきます」