※本稿は、野木志郎『日本の小さなパンツ屋が世界の一流に愛される理由(ワケ)』(あさ出版)の一部を再編集したものです。
華々しくデビューを飾った「甲冑パンツ」
はじましての人もそうでない人も、まいどです。野木志郎と申します。
東京は渋谷でログインという小さな「パンツ屋」をやっております。
我が社が「SIDO(志道)」というブランドで展開する「包帯パンツ」はありがたいことに、私が憧れるロバート・デ・ニーロさんや、ビリー・ジョエルさん、セレブが通う人気和食レストラン「NOBU」のオーナーシェフ、NOBU(松久信幸)さんなど、世界中の著名人やセレブの方々に気に入ってもらっています。
「包帯パンツ」が何なのか気になる方は、前回の記事お読みになっていただけると幸いです。
今回は、我が社・ログインが存続するか、しないかの岐路、ターニングポイントとなった出来事についてお話したいと思います。それは約10年前のことでした――。
2008年11月6日、原宿の東郷神社で行った展示会「包帯の陣」。私はここで、甲冑パンツを大々的に発表しました。
甲冑パンツとは包帯パンツの一種で、表面にさまざまな武将の甲冑をイメージした絵柄がプリントされている商品です。
なぜ甲冑なのかと言えば、前回の記事でもご紹介したように、2002年のサッカー・ワールドカップで感動した私が、「日本代表選手たちには“大和魂”をまとってもらいたい」という気持ちをずっと持っていたからです。
甲冑パンツのアイデア自体は2005年頃にはありました。渋谷の書店で甲冑の本を見つけて ラフスケッチを描いたのです。ただ、甲冑の絵を生地にプリントする技術のハードルが高く、ほぼ諦めた状態で長らく放置していました。
流行プリントパンツにムカついて!
2007年創業当初のログインは、業績的にはかなりやばい状況でした。包帯パンツは2007 年の11月にユナイテッドアローズで新発売、2008年の1月には伊勢丹でも発売を開始しましたが、ユナイテッドアローズには初回900枚のオーダーをもらったのみ。伊勢丹では1週間で5枚程度の販売実績。当時私を含めて社員は3人いましたが、とてもやっていける状況ではありませんでした。
一番苦しい時期だったと言っていいでしょう。
その時、私はふと、2006年の大晦日のことを思い出しました。皆さん覚えているでしょうか? 紅白歌合戦に出場したDJ.OZUMAのバックダンサー(女性)たちが全裸に見間違えるボディスーツを身にまとい、DJ.OZUMA自身も破廉恥(はれんち)なパンツ姿になって話題(問題)になったことを。
それを機に、裏原宿で冗談みたいな柄のプリントパンツがばんばん売られるようになっていたのです。私はそれを見て、無性にムカついていました(笑)。
「俺やったらそんなパンツやなくて、武将のパンツや!」と。
そこで引っ張り出してきたのが、かつてスケッチしたままで放っておいた、甲冑パンツです。
さっそくデザイナーにスケッチを渡したところ、「イケるんじゃないですか?」と。