「お遍路中、知らない人からスポーツドリンクにお菓子、現金をもらった。親切にしてくれた人にあとでお礼をしたいので、電話番号や住所を聞いても『お遍路さん、ここでは何かものをあげたからって恩には着せない。もらったからって恩には着なくていい』と言われました」
その無償の精神に感銘を受けた尾畠さんは、体が健康で、車の運転ができる限りは、被災地に行ってボランティアをしていこうと決意したという。
「職業はいろいろ経験しましたが、最終的には小さいころからの夢だった鮮魚店を大分県で営んでいました。その店を畳んだのは65歳くらいのとき。それからは、ボランティアばかりの生活になりました」
さて、尾畠さんの収入は2カ月に1度もらえる11万円の年金がベースとなっている。たまに、ご近所さんの庭の木を剪定するなどして、数千円もらうこともあるそうだが、それ以外の収入はなく、貯金もない。これで本当に生活できるのか。
「まず、大分に持ち家があるので住居費はかかりません。鮮魚店を畳むとき、その物件を売ったお金で今の家を買ったのです。ボランティアで家を離れているときも基本的に軽自動車の中で寝泊まりするので、宿代はかかりません。家にいることも少ないですし、光熱費も最低限という値段でしょうか。外で火をおこして菜っ葉を茹でることもあります」
それでもライフワークであるボランティア活動をするためには何かとお金がかかるだろう。
「ガソリン代はたしかにかかります。例えば今回の広島・呉であれば往復で1万円くらいです。高速道路は基本的には使いませんが、災害から何日かすると、手続きさえすれば無料で使えるようになることもある。そういうときは利用させてもらっています」
食事はどうしているのか。
「基本的にはパックご飯やインスタント麺を大分県でまとめ買いしています。あとはアメも常備し、ボランティア中に住民の方や他の作業員に渡しています。山口県で発見した男の子にもあげましたよ」
しかし車中泊が続けば、ストレスもたまるだろう。たまには、酒でも飲みたくなるのではないか。
「酒は“とめて”います。私はもともと大酒飲みでした。飲むというか、浴びていましたね。なんぼ飲んでも酔っ払わないのですよ。ただ、東日本大震災で我慢しながら仮設住宅に住む人たちを目の当たりにして、酒を我慢することにしました。仮設住宅の人が全員外に出るその日まで、酒は飲まないと決めています」