教育委員会も簡単には体罰を認めない

しかし、数日して出てきた答えは、「やはり0件です」。

そんなはずはない。殴った、ボールを投げつけた、などとはっきり書いてあって、学校もその事実を認めているのに、なぜ0件になるのか。とても納得できない、もう一度見直すように、と指示した。

すると今度は、「1件ありました」。

いやいや、もっとあるだろう。なぜそうなるのかと聞くと、「身体に対する侵害」はあるが、「肉体的苦痛」がないからだという。しかし、定義を読み返しても、そのいずれかに該当すれば体罰である。なぜ勝手に限定するのか。もう一度しっかり見直すように、と指示した。

するとようやく、「15件です」。

やればできるではないか。できれば最初からやってほしいが、しつこく突き返した甲斐はあった。体罰を黙認しない姿勢を教育委員会が示すことが、学校現場の意識を変える出発点である。

体罰に頼らず指導ができてこそプロ

私が変えたいのは、後で謝れば体罰が許されるという学校の体質だ。実際に体罰を行う教員はごく少数だとしても、それを管理職や周りの教職員が指摘しない状況、さらには学校ぐるみで「体罰ではない」と擁護する状況こそが問題である。

あまり厳しくすると現場が萎縮するという意見もあり得るが、今回は熊本市の教員4000人の中で15件である。それが厳しすぎるとは思わないし、アンケートで出てきた約50件のうち過半数は「体罰ではない」と認定している。生徒が体罰だと言えば何でも体罰になるわけではない。もし萎縮するとすれば、力に頼った指導をしている教員だが、そういう人にはむしろ萎縮してもらいたい。

念のため、教員経験の豊富な教育次長に「体罰をなくしたら学校が荒れますか」と聞くと、「それは絶対にありません」と即答された。その答え方には、体罰などに頼らず指導できてこそプロだというプライドを感じた。熊本市の全ての教員に、そうした指導力とプライドを持ってもらいたい。

体罰は一例であるが、「昭和の学校」を平成に、そして次の時代にふさわしい学校に変えていくためには、このように具体的な課題を一つずつ解決していくしかないと思っている。

遠藤 洋路(えんどう・ひろみち)
熊本市教育長
1974年生まれ。埼玉県出身。東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。文部科学省で生涯学習政策、学術交流政策、知的財産政策などを担当し、多数の新規立法・法律改正に携わる。2010年に退職し、友人と政策シンクタンク「青山社中株式会社」を起業。同社共同代表を経て、2017年度より熊本市教育長に就任。
(写真=iStock.com)
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