「体罰アンケート」で見えた甘い姿勢

こうした「昭和の学校」を改革すべく日々奮闘しているつもりだが、最近特に問題だと感じたのは、体罰への甘い姿勢である。言うまでもなく、体罰は学校教育法で禁止されている。体罰の存在は、教師自身がルールを守れていないことを意味する。

文科省によれば、体罰の定義は「懲戒の内容が身体的性質のもの」である。身体的性質とは、「身体に対する侵害」(例えば、殴る、蹴る等)、「肉体的苦痛」(例えば、長時間の正座・直立等)とされている。

この定義に従えば、「罰として殴る」のはもちろん体罰だが、「暴れる生徒を押さえつけて鎮める」のは、懲戒ではないから体罰ではない。また、「教員が暴言を吐いた」という場合も体罰ではない。暴言も不適切な指導には違いないが、身体的性質ではないので体罰とは別の問題になる。今回は体罰に絞って論じたい。

熊本市教育委員会が毎年度行っている「体罰アンケート」では、子供や保護者から体罰に関する報告が50件前後寄せられる。しかし、その中で学校が体罰だと認めた件数は、2015年度が1件、2016年度は0件であった。2017年度も同じく0件という報告が上がってきた。さすがにこれはおかしいと思い、アンケートの詳細を見せてもらった。

「許してもらったら体罰ではない」という理屈

すると、先ほどの定義に照らせば体罰に当たらない事例も多くある中で、殴る、ボールを投げつけるなど、どう考えても体罰だと思われる事例も出てくる。そこで学校の説明を読むと「事実であるが、保護者に謝罪し納得いただいたので、体罰には該当しない」などと書いてある。

ちょっと待て。そんな理屈が通るわけがない。学校も事実は認めているのだ。子供や保護者が許しても、体罰は体罰である。むしろ、体罰があっても許されるという環境があるなら、さらに大きな問題ではないか。まさに、スポーツ団体のパワハラ問題と同じ構図である。

そこで、学校の判断に関わらず、教育委員会の判断として厳しく体罰を認定するよう、担当課に見直しを指示した。