これはCMもまったく一緒です。初めてお茶の間に流れた瞬間、相手がどう感じるのか。どこまで印象に残るのか。CMの成否は、その瞬間にほとんど決まるといってもおかしくないと思います。
だからこそ、新しいCMができたらなるべく周囲の人に見てもらい、最初に生まれた感想を大事にする。大体の場合、そこには必ず新発見が含まれているからです。そしてその意見を検証することで、独りよがりな表現に陥ることも防げます。
あくまで僕の考えですが、新しいCM制作にかかわる際には、基本的に「誰も見てくれない」「誰も関心がない」という状況を想定して始めるようにしています。
夏休み明けの朝礼、何を記憶に残すか
これは失礼を承知で言えば、夏休み明けの小学校の朝礼で行われる校長先生の話のようなもの。
友達同士で夏休みの思い出をわかちあいたいのに「えー、夏休みボケを早く直して勉学に勤しむように」といった内容の話が長々と続く。生徒の心境としては「早く終わらないかな」と感じているだけで“心そこにあらず”というのが正直なところだと思います。
それでも聞いてもらうべく、校長先生は自分の経験や生徒たちが関心のありそうな物事、ときにはギャグをちりばめたりしながら話を進め、必死に生徒たちを振り向かせようとするわけですが……。でもはなから聞こうとしていない相手に、話の内容だけで勝負しようとすると、これはなかなか難しい。
であればどうするか?
たとえば校長先生がいつものきっちりとしたスーツ姿でなく、パジャマのまま、寝ボケた姿で出てきたらどうでしょう。
夏休みボケを早く直さないと大変だ、というメッセージが鮮明に伝わると共に、パジャマが強い「記号」となって生徒の目に留まるはずです。
それで「あれ?」と思わせて注意をひけたら大成功。そこからは話の内容も少しは聞いてもらえるかもしれません。
「話の内容はよくわからなかったけど、とにかく夏休みボケは怖い」
などと記憶に残れば、夏休み明けの最初のステップとしては合格ではないでしょうか。
印象に残したければ「記号」を意図して用意すべし
CM一つに与えられる時間はとても短い。それでいて「一方的に流れてくるもの」という印象も強いし、スマホやパソコンなど、異なるメディア同士での時間の奪い合いとなった今、「できれば飛ばしたい」とも思われかねない立場に置かれています。まして、初めて放送されるCMの場合、誰も関心を持ちようがありません。