【藤井】すでにマスコミを蔑視する言葉が昭和の時代からあったわけですか。

【辻田】ただ、「マスゴミ」が本のタイトルになるなど、広く使われはじめるのは平成の後半ですね。例えば2008年に『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』、2009年には『マスゴミ崩壊』といったタイトルの本が出版されています。

1993年の椿事件(編集部注:民放テレビ局において放送法に違反する政治的偏向報道が疑われた事件)や、2001年の田中康夫「脱・記者クラブ宣言」(編集部注:当時長野県知事を務めていた田中康夫氏が行った、県内の記者クラブから記者室と記者会見の主催権を取り上げ、今後は県主催で誰もが参加可能な会見を開くとした宣言)もあったとはいえ、マスコミが強烈に叩かれるようになったのは、ネットの普及があったからでしょう。2005年にYouTube、2007年にニコニコ動画など、動画メディアも誕生します。

右も左も「昭和の残滓」を攻撃している

【辻田】平成の前半は昭和の遺物が精算されていた時代です。銀行さえ潰れました。1997年の山一證券自主廃業の記者会見は印象的でした。しかし、その時期にもマスコミは地上波を独占するなど、続・昭和の状態を続けていたのです。そのため、他の業界は苦しい改革をしたのに……と、マスコミの既得権が目立つようになってしまった。平成の後半に残った昭和の遺物だから、マスコミは攻撃されているのではないでしょうか。

【藤井】面白い観点ですね。平成の前半ではネオリベ的な政策を導入した小泉・竹中路線があり、昭和的なものを改革していきました。改革の中で普通の人たちの生活は苦しくなっていったのに、「あいつら(マスコミ)だけ改革されずに既得権益を守っている」というルサンチマンが平成の後半に爆発したということですね。

【辻田】安倍政権が今打ち出している「美しい国」もまさに昭和の遺物ですよね。彼らがいう「美しい国」はどの時代を指しているのかわからない。戦前なのか、高度経済成長期なのか。どちらにせよ、今の社会状況の中で完全に復活させることは不可能なので、彼らも具体的に指定できないのでしょう。だから「反マスコミ」「反朝日」といったアンチになり、共同体をぼんやりと浮かばせることしかできないのです。

【藤井】なるほど、平成の右翼も左翼も現在のところ、同じものを攻撃していて、それが昭和の残滓なんですね。右翼はマスコミを批判し、左翼は安倍的な「美しい国」の国家主義を批判している。平成の左右両陣営からの攻撃の対象になっているのは、「昭和」であると。

【辻田】ある種の「昭和」攻撃です。ただ、昭和を否定した先に大したものは何もなかった。結果的に平成はアンチばかりで、残念ながら、政治的にはあまりポジティブな時代ではなかったように思っています。