日本の施設は戦災孤児のために作られた

――世界では脱施設化の動きが進んでいたのに対して、なぜ日本は施設が中心だったのでしょうか。

「社会的養護を必要とする子どもがいる」というニーズの把握に失敗したのです。もともと、日本の児童養護施設の大半は12万人もの戦災孤児を収容するために作られました。当時は子どもたちが中卒で仕事に就いていたため、1960年には戦災孤児はいなくなり、「施設はなくなるもの」と思われていました。ちょうど、1960年代は世界で脱施設化の動きが始まった頃ですが、日本はその動きに乗っていません。

西澤哲『子ども虐待』(講談社現代新書)

これは推論ですが、日本は戦災孤児の問題が大きすぎたため、「戦災孤児がいなければ、家庭において養育されない子どもはいない」と思われていた可能性があります。社会的養護が必要な子どもたちの姿が見えなくなっていたのではないでしょうか。それから1995年まで、施設に入る子どもの数は減り続けていきました。

1980年代の後半になると、専門職の人が虐待の存在を認識し始めました。1990年からは児童虐待の通告件数もデータとして残っています。通告件数が増える中で、育てる場所として挙がったのが養護施設でした。世界はその頃すでに里親養育が中心になっていたのに、日本はそこで判断にミスをしたのです。施設の方も、入所する子どもが減っていたので大歓迎でした。

しかし、施設は戦災孤児を収容して、ある程度の年齢まで育てて出していくことを目的に作られています。虐待や不適切な養育環境の影響で、行動上の問題や精神科的な問題を持った子どもをケアすることは考えられていません。そこでミスマッチが起きた結果、施設内虐待や、性被害・性加害などの問題が発生しているのです。

「お情け」としての福祉のままでいいのか

――18歳までは社会的養護を受けられるのに、高校を中退して施設を出てしまう子どももいます。施設の数が足りないということですか。

施設が面倒を見たくないからでしょう。現場のケアワーカーは、家に帰れない子どもについては18歳で高校を卒業させてから社会に送り出したいと考えていると思います。でも、「高校を中退してアルバイトもしていない子どもを、税金で面倒をみるのはおかしい」という考え方をしている施設長は少なくありません。

今から40年くらい前に高校全入時代となった頃も、多くの施設の子どもは中卒で働いていました。「義務教育は中学校までだ。働けるのに税金で食べさせてもらって高校に行くのは贅沢だから、所得税で自分の養育費を返しなさい」と言っている施設長もいたのです。今はそういうことを言う人はいませんが、福祉は「お情けでやっているもの」という感覚が日本には根強くあります。権利としての福祉や科学的な根拠を持った福祉の観点に移行できておらず、「恩恵的福祉観」になっているのです。