そんな孫権に一世一代の決断の時が訪れる。曹操から「あなたと呉の土地で狩猟がしたい」と呉への侵攻を予告する手紙が送られてきたのだ。
当時、覇権の行方は河北の曹操と江南の孫権のどちらかに絞られつつあった。だが、曹操は幾多の戦いをくぐり抜けてきた老練の戦人。江南支配を確立して間もない若き孫権との力の差は歴然だった。
曹操の手紙には「水軍80万の軍勢を整えて」とあった。巨大な曹操艦隊に対し、負けを覚悟で打って出るか、下るか、道は二つに一つ。軍議の場は降伏論が圧倒的だったが、遅れて登場した周瑜が決戦を進言する。最高位の軍人であり、孫権の兄代わりのような周瑜の言葉に異を唱える者はいない。孫権は、曹操の統一を許すまじ、と戦いを宣言。剣を引き抜き目の前の机を両断してこう言った。
「私の言葉に従わないものはこうなる」
孫権の腹積もりはどうだったのか。降伏して魏の有力貴族として生きる選択もあったはずだ。しかし、父と兄が天下を夢見て築き上げた呉という国を手放したくなかったのだと思う。攻めより守りの孫権が、守るために戦いを選んだのだ。
もし孫権が戦う決意をしなかったら、赤壁の戦いは起こらず、曹操の覇権が実現して三国鼎立は起きなかった。この決断一つで、孫権もまた三国志の主役の一人たりえたのだ。
北方謙三●1947年、佐賀県生まれ。中央大学法学部卒。81年『弔鐘はるかなり』でデビュー。83年『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞、85年『渇きの街』で日本推理作家協会賞、91年『破軍の星』で柴田錬三郎賞、2004年『楊家将』で吉川英治文学賞、06年『水滸伝』全19巻で司馬遼太郎賞を受賞。2000年より直木35賞の選考委員を務める。全13巻の『三国志』(角川春樹事務所)は累計450万部の大ベストセラー。また現在、『水滸伝』の続編『楊令伝』を小説すばるに連載中で、最新刊は第9巻。
(構成=小川 剛 撮影=大杉和広)