秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚延期について、新たな展開があった。小室さんが米国で弁護士資格を取得するため、8月ごろから3年間の予定で渡米することになったのだ。結婚はどうなるのか。元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏は「距離が離れるほど2人は強く引き合う。どれだけ週刊誌に邪魔されても、最後に『愛は勝つ』となるはずだ」という――。
横浜市内の自宅を出る小室圭さん(写真=時事通信フォト)

昨年9月の婚約発表を、世間は大いに祝福した

「貧しさに負けたのではない、世間の冷たさに負けた」

1974年にさくらと一郎が歌った『昭和枯れすゝき』は150万枚のミリオンセラーとなった。

幸せなど望まない、せめて人並みの暮らしがしたい。そんなささやかな夢もかなわなかった男女の嘆き歌は、70年安保闘争後の閉塞した時代を映し出し、人々の心にしみ込んだ。

一連の週刊誌報道を読んだ小室圭さんと秋篠宮眞子さんは、もし2人が別れることがあれば、週刊誌というメディアが作り出した“世間”に負けたと思うのではないか。

2人がそろって記者会見したのは昨年の9月3日だった。お互いを太陽と月にたとえて、うれしさを隠さない2人を、世間は大いに祝福した。

だが、12月に入り、『週刊女性』が、圭さんの母親と元婚約者との間で金銭トラブルが起きていると報じたことに端を発し、2人の前途に黄色い信号が灯った。年が明けて、週刊新潮と週刊文春が後追いして、騒動は広がり、2月6日に宮内庁が「結婚延期」を発表したのである。

「報道の一線を踏み越えた」と書いた理由

前にも書いたように、この金銭トラブルの情報源は、名前も顔も出さない母親・佳代さんの元婚約者だけであり、母親はもちろんのこと、息子も沈黙したままである。

普通の取材なら、片方のいい分だけで記事をつくることは週刊誌といえどもしない。だが、不思議なことに、今回のケースに限ってはそうではなかったのである。

報道は過熱していく。小室家の親族の宗教や父親と祖父の自殺。ついには圭さんが眞子さんと付き合っている時、別の彼女と交際していたということまで書きたてたのである。

報道の一線を踏み越えた、そう私はこの欄で書いた。

百歩譲って、小室家側が誰一人取材に答えなかったからだとしても、非難する側の一方的ないい分だけで記事をつくるなど、メディアとしてあってはならないことだ。

私は、400万円の金銭トラブルが“軽い”と思っているわけではない。だが、いい年の男と女が、結婚を前提に付き合っていた頃のやりとりである。そのことを、圭さんの婚約が発表された後になって、週刊誌に売り込むなど、人間としていかがなものだろう。