それと並行して、A君は部活でもトラブルを抱えていた。その部ではLINEを連絡手段として使っていたのだが、一部の部員がふざけてスタンプをものすごい頻度で投稿し合っており、そのたびにスマホがマナーモードにしていてもブーブー鳴って、うるさくて仕方がない。大事な連絡もあるからオフにするわけにもいかず、たまりかねたA君が抗議すると、ふざけていた側の生徒たちが逆ギレして、LINEでもリアルでも言い合いになってしまった。
それを境に、A君は部活では持ち回りのはずの「記録係」を押し付けられ、自分のやりたい活動をさせてもらえなくなった。クラスでも水泳の授業で、泳ぎが苦手なのに無理やりクラス対抗リレーに出され、「お前のせいで負けた」と責められて、やせ型の体格のことまでバカにされた。
第三者委員会の調査も及び腰
ただA君自身は、生前に「いじめがあった」とは言っていなかった。遺書も残していない。そのため教育委員会は、A君の事例についていじめという認定をしていないのだ。私が本稿でこれまで示した情報は、部活のLINEの件を除けば彼らもすべて手にしている。にもかかわらず、彼らの出した結論は「いじめはなかった」というものだった。
周辺状況から見れば明らかにいじめの存在が強く疑われるのに、なぜこういう結論が出てくるのか。その理由は、A君をからかっていた生徒たちに対する、第三者委員会の聞き取り調査の報告書を見れば見えてくる。
報告書には生徒たちが、Aくんに方言の口癖を言わせようとして何度も絡んだという事実が記されているが、「なぜ彼らは繰り返しそんなことをしたのか」「Aくんはその時どういう反応を示したのか」といった、いじめかどうかを判断する上で重要なポイントが記されていない。調査員が、よくいえば「からかった側の生徒たちの行動を善意に解釈しようとしている」、悪く言えば「この案件をいじめにしたくないと考えていて、いじめ認定につながらないような質問しかしていない」のだ。
A君の保護者は当然この結論に反発しており、事案の再調査を求めている。だが、再調査を行うかどうかは新たな事実が出てくるかどうかによる、というのが現在の役所の姿勢だ。A君が生きていてくれれば確認できることはたくさんあるのだが、Aくんがいなくなり、時間もたった今となっては、「新たな事実」を提示するのは難しい。
その一方で、Aくんが通っていた高校の保護者やOBからは、「(名門といわれる)うちの高校でいじめなどあるはずがない」「将来のある子たちを犯罪者にする気か」と、A君の保護者や教育委員会に対して、抗議や圧力をかけてくる。