失墜したブランドを復活させた武将
時代の変化とともに人の見方も変わる。家光の時代になると、信之は関ヶ原、大坂の陣を知る数少ない人物として高く評価され、家光は乱世を生き抜いた信之に敬意を表し、合戦話に耳を傾けた。諦めずに家名、ブランドを維持する努力を続けることは、今も昔も重要なことである。「この人間は人を裏切らない」という信頼関係を得るため、信之は陰日向なく徳川家に尽くし続けた。実際、義父の本多忠勝には大いに信頼され、忠勝は家康に直談判して真田家を残すよう働きかけている。信之は策を弄さず、大言を吐かず、誠実に人に向き合った。
また、真田家の親子関係は、当時としては異例なほど濃密で、信之は西軍について流罪になった父親が亡くなるまで援助し続け、父に対して孝行を尽くした。信之のように生真面目で嘘をつかない真摯な姿勢が失墜したブランドを復活させるうえでは欠かせない。今でいえば、ガバナンスやコンプライアンスが万全、堅実ということになるだろう。
1622年、信之は信濃松代に移封され、約13万石に石高が増えたが実収は減った。領内は戦で農地は疲弊しており、今でいう働き方改革と同様、働き手が足りなかった。実収3、4万石という中で、高いモチベーションで働かせるために信之は、離散した農民を戻すための政策など、働く環境づくりに取り組んだ。
こうした実績を積んだ信之は、領国経営の手腕を高く評価され、徳川家の信頼を勝ち取っていく。地に墜ちたブランドは徐々に回復し、大幅に価値が上昇することになった。その後、真田家は歴史をつなぎ、幕末には老中を出すまでに至ったのである。
▼真田信之に学ぶべきポイント
1:窮地に追い込まれたときこそ二面張りの決断をする
2:自分の役割を覚悟したらぶれずに目的に集中する
3:ブランド復活には嘘をつかない真摯な姿勢