南北、そして米朝の歴史的な首脳会談が近づく北朝鮮情勢。これだけの情勢変化に対応するにはどうしたらいいのか。弁護士として民間の「ややこしい人」との交渉を得意としてきた橋下氏が、国家間の交渉のキモを解説する。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(4月10日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

なぜゲーム理論は役立たないか? 僕が身に付けた実践的交渉ノウハウ

北朝鮮情勢が激しく動いている。今の国際ルールでは、いきなり軍事力を使うことはご法度なので、まずは交渉・駆け引きが行われる。まあ外交ってやつだね。今回の北朝鮮をめぐる外交は、各国が自らの利益を主張し、激しくぶつかり合いながら利益を確保していく、まさに武力を使わない戦争そのもの。

写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs

ところが、これまでの日本の外交の柱は、とにかく仲良くしましょう、と笑顔を振りまくものだった。今回の武力を使わない戦争状況において、日本の外交能力がどこまで通用するのか、まさに正念場だ。

僕は弁護士2年目から自分の事務所を構えて、交渉を中心に事件を解決することをモットーとしてきた。裁判は最後の手段。裁判だとどうしても時間と費用がかかってしまうからね。

僕のところに依頼が来る事件は、当然だけど、当事者同士で話がつかなかったもので、しかも相手が大阪独特のややこしー案件ばかり。森友学園理事長の籠池さんなんて、かわいいもの。いわゆる不法団体、反社会勢力に属する相手も多かったね。

そんな者を相手に、年間100件以上は交渉をやってきたから、実践で交渉のノウハウが身についていった。巷で流行っていた、いわゆる交渉術の本も読み漁ったけど、それらはほとんど役に立たなかったね。特にハーバード流とかなんとか、大学名が冠に付いた交渉術本はさっぱりダメだった。

だってそれらの本が想定してる相手は、理知的・理性的な相手ばかり。そして事件の始まりから終わりまで全体を見渡した上で、事後的にあーすればいい、こーすればいい、と論じるものばかり。その最たるものがゲーム理論ってやつだよ。ゲーム理論なんて、こちらの選択肢と相手の選択肢を全て見渡せる立場に立って、しかもその選択肢の数はせいぜい5つから多くても10、ほとんどは2、3の選択肢を想定し、事後的に最善の選択肢を考えるようなもの。その選択肢が最善であることを、後から色々と理屈付けているような感じだね。本物の交渉は、相手の手の内が全く分からない中、そして選択肢は無限に存在し、判断の時間も限られている。こんな状況の中では、ゲーム理論なんてクソの役にも立たないね。

では、実践的に交渉を積み上げてきたことによる僕の交渉ノウハウはどのようなものか。それは30歳代前半で初めて書いた本、『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』にまとめたんだけど、今読んでもそのまま使えるよ。

(A)相手を動かすためには
 1.脅す(もちろんルールに違反しない範囲で)
 2.利益を与える
 3.お願いする
この3つしかない。
(B)自分の要求は究極的に1つに絞り込む。その要求を実現するために他は譲歩する。
(C)自分の力による脅し・利益が必要で、他人の力を頼ってはいけない。まずは自分の力を確保した上で、さらに力を補強するために他人の力を頼ることは交渉力を増すが、自分に力がないまま他人の力を頼ることはご法度。
(D)自分に力がなければ、いったん退いて力を蓄える判断が必要。
(E)相手に与える利益は現実の利益でなくても、相手が困るような環境を作り出し、それを取り除くことで利益に見せる方法もある。これは具体的な持ち出しがなく、非常に効果的で「仮装の利益」という。

まとめるとこんなところ。実にシンプルなんだけど、汎用性、普遍性があるんだよ。だから、この交渉ノウハウって、弁護士の事件解決だけではなく、どんな交渉にも使える。まさに外交交渉においてもね。

交渉で一番失敗するのは、あーだこーだと評論するパターン。自分の知識をひけらかして、色々語るのはイイんだけど、じゃあまず打つべき手は? と問うと、「そう単純にはいかない」「複雑な利益考量や判断が必要になる」とかなんとかごまかして、結局打つべき一手を言わない。このような評論は最悪で、政治家の判断にはクソの役にも立たないけど、国際問題が勃発した時には、専門家と称する者のこういう評論が巷に溢れかえるね。

交渉とは相手の手の内が分からない中、無数の複雑な選択肢の中から、打つべき一手を打たなければならない。そのときの判断の拠り所は、シンプルなものであればあるほどいい。シンプルでありながら、鋼のような拠り所。それがあれば、どんな交渉の状況下においても、打つべき一手が導かれる。一見、他者から批判を受けそうな一手であっても、このような判断の拠り所があれば、批判を受けても動揺しない。他方、そのときの状況を評論的に細かく分析したところで、打つべき一手は導かれないし、他者から批判を受けたり、刻々と変化する状況に動揺しちゃうんだよね。

(略)