日米英仏伊……先進国の有権者の怒りにはそれなりの理由がある
3月4日投開票のイタリア総選挙の取材のために、イタリアに行ってきました。特に五つ星運動の実態に関心があった。
日本の新聞では、五つ星運動は必ず「ポピュリズム政党」というレッテルを貼られ、批判的に書かれている。そういや五つ星運動のことを良く書いている記事は日本の新聞では見たことないな。
日本を含め世界の政治状況を分析するときに、新聞などのメディアや自称インテリたちは政党間の色々な対立軸を設定するけど、それは研究者などが自分の研究に引き込んでの我田引水の論理ばかり。保守とリベラル、国家主義と個人主義、小さな政府と大きな政府、グローバル主義と保護主義などなど、いつものやつね。
イギリスのEU離脱の国民投票、アメリカ大統領選挙、フランス大統領選挙と議会選挙、そして今回のイタリアの総選挙と現地取材をしてきたけど、学者のそのような小難しい話は実態に合っていないね。
今の、特に先進国・成熟していると言われている民主国家における政治の状況を一言で言えば、既存の政治に対する有権者の怒り大爆発。政策の中身による対立というよりも、既存の政党対新興政党という対立軸が根幹だね。この有権者の怒りを真正面から受け止めることができない人は、これらの国々で起きている一連の政治的な流れを「ポピュリズム」の一言で斬り捨てる。有権者の怒りは「おかしなもの」で、そのような有権者の怒りを煽り、それをすくっていく政治はポピュリズムで悪い政治だ、とね。
でも国民全体の教育レベルがある程度高い先進国や成熟した民主国家における有権者の怒りは、それなりに理由があることを、僕は自身の政治活動やその後の取材活動などの経験で確信した。
(略)
有権者が既存の政治に怒りを覚えるにはそれなりの理由がある。その怒り全てに応えるわけにはいかないし、もちろん怒り自体が間違っている場合もある。その際には、なぜ有権者の怒りに応えることができないのかを、政治がきちんと丁寧に説明する必要がある。ポピュリズムという言葉一つで、有権者の怒りを斬り捨てることなど言語道断。有権者の怒りを政治がしっかりと受け止めなければ、民主政治などは成り立たない。