日本への渡航費や宿泊代は自腹 23の国と地域の赤十字が結集

日赤ガイドラインには活動地域や個人の放射線被ばく限度などが具体的に示されており、活動従事者の安全を確保しながら、活動を展開する方法が記されている。担当者は「将来の災害時に、日赤が円滑に救護活動を実施することが可能になりました」と説明する。他組織での活用も期待されている。

避難指示解除から1年たった福島県浪江町。撮影日の3月1日は風が強く、建物の看板などが激しく揺れていた。

日赤は18年2月末には、受け取った1000億円以上の救援金の使途を説明する目的で、世界の赤十字社を日本に招待し、福島・岩手・宮城の各県を案内した。日本への渡航費や宿泊代は参加者負担だったなか、23の国と地域の赤十字から約50名が参加した。

韓国から訪れた金宰律さんは隣の北朝鮮で核実験が繰り返されていることに触れ「自然災害だけではなく、どんな危機であろうとわれわれの使命は助けを求める人のもとへ駆けつけることだ」と力を込めた。ラトビアの赤十字職員は「チェルノブイリの教訓もあり、真剣に考えたい。対策や知識を身につけたい」と話した。

被災地支援を続けている日赤スタッフは7年がたち、周囲が変化していく様子を見ている。「海外から来たNPOやNGOには、支援を終え、日本の事務所を畳んだり、撤退したりした団体も多い」(藤巻さん)。多くの支援団体が去ったあとも、福島には生活している人がいる。彼らの生活はどうなっているのだろうか。「福島の復興は岩手、宮城と同列には語れない」。関係者はそう口を揃える。避難指示が解除された地域で暮らす人々は福島の今や、復興をどう捉えているのだろうか。