このことは、2つの意味で正当なものとみなされた。1つは、多数の製品を市場に投入することで、開発に携わったほとんどすべての開発者・技術者が満足感を得ることができたのである。担当業務が製品という形で結実することは、開発者・技術者冥利につきるからである。
第2は、製品を少量しか製造しないことは、在庫リスクの軽減につながるからである。自信を持って市場に投入した製品が、予想外の販売不振となることは決して珍しいことでない。このような事態に遭遇した時、大量生産をしていれば企業は大きな打撃を受けることになるが、少量生産なら、痛手は軽減されるからである。また、同時に製品ライフサイクルも短命化するので、さらなる、製品開発が必要になるという多品種化の加速化も進んだのである。
営業の業績評価は「利益」でなく「売上」に基づく
「顧客の声を聞く」はとても大切なことである。しかし、利益を犠牲にしてまでの対応には問題がある。多様な顧客の声のすべてに反応していれば、利益の獲得はおぼつかない。「顧客の声は神の声」でないことに気づく必要があるだろう。なぜなら、顧客のニーズはうつろいやすいからであり、欲しいと言っていた顧客に、ニーズを満たした製品を提供しても、必ず購入するという保証はないからである。
それにもかかわらず、「神の声」に対応しようとすれば、多品種化は必然となる。営業は、顧客ニーズの御用聞きではないはずだが、給与を支給してくれている自社よりも、顧客の声を重視するようになる。これを後押ししているのは、営業の業績評価が「利益」でなく、「売上」に基づいて行われるという現状である。
バブル経済崩壊後、業績の低迷を克服する手段として企業が選択したのは、需要を喚起するために多種多様な製品を市場に供給することだった。「数打てば、当たるかもしれない」という対応である。同業他社の動向に注目する企業は、他社の品ぞろえに追随する横並び的な製品開発を行った。その結果、熾烈な製品開発競争を繰り広げた。
顧客の多様なニーズに対応することは、必然的に少量生産に結びつく。顧客嗜好に合わせて製品セグメントを細分化することになるからである。
「生産イノベーション」がさらなる多品種化を招いた
多品種化は、必然的にコスト増と収益性の低下につながる。そのことは、多品種化が趨勢となり始めた初期には、ちゃんと認識されていた。多品種化が進んでも、コスト高につながらないような創意工夫、特に生産に関するイノベーションに多くの企業が取り組んだのである。
製品種類を減少させるVRP(Variety Reduction Program)やマスカスタマイゼーション(顧客から見れば多様な製品であるが、生産では大量生産のメリットを享受するアプローチ)は、多品種化が進展するプロセスで、考案された洗練された考え方なのである。その他にも、以下に列挙するように、創意工夫から数多くの生産イノベーションが実現した。
・部品の共通化・共用化による材料費の削減や製造工程の統一化
・FMS(Flexible Manufacturing System:多品種対応ができる製造設備)とロボットの活用
・CAD/CAM(Computer Aided Design/Computer Aided Manufacturing)を活用した設計工数の削減と、設計と製造のシームレス化
・自動化倉庫活用による庫入れ・庫出し業務の効率化
・作業者の習熟・多能工化による労務費の削減
・プラットホーム設計(車で言えば、セダン、SUV、クーペなど車形が異なっても、共通シャーシを活用することを前提とした設計)やモジュール設計(部品個々の設計ではなく、それらの集合体としてのモジュールを構想し、その設計を行うこと)を通じての原価の削減や取引費用の削減
・ポカよけメカニズムの導入
・小口多頻度配送
多品種生産は間違いなくコスト高につながるが、上記のような血のにじむような努力により、多品種化しても、現実にはコストが大幅に跳ね上がることはなかったのである。さまざまな技術革新をおこない、大量生産と変わらないコストやリードタイム、品質、生産性を実現し、多品種少量生産は日本企業の得意技となった。これは、称賛すべき成果ではあったが、皮肉なことに、このような成功によって、多品種化に歯止めがかかることはなく、さらなる多品種が進んだのである。