箱根には、人を変える力がある

箱根駅伝閉幕から約10日後。根岸に話を聞くと、「設定タイムからは3分遅かった」と頭をかきながらも、淡々と、しかし充実感のある表情で話した。

慶應義塾大学は日体大、実業団チームの日清食品グループで活躍した保科光作氏をコーチとして招聘。

「箱根は独特の雰囲気がありました。左耳が応援と近く、規制がかかって応援が途切れる場所で耳の感覚がおかしくなるほどでした。タイムも悪かったはずなのに、今までのレースで一番楽しかったですね。一生分名前を呼ばれたんじゃないかと(笑)。Kのユニフォームを箱根に復活させられたので、あとはチームで出るしかありません」

他方、保科コーチの表情には安堵と悔しさが同居する。

「根岸は実力でメンバーを勝ち取りましたが、チームとして出場できないことで、やはりどこか蚊帳の外というか……。根岸もほぼ1人で走り終えたので、“駅伝”を経験させてやりたかった。選手、コーチとして9度ほど箱根駅伝を経験していますが、今回が一番悔しかったですね。私の力はチームを出してなんぼです」

箱根駅伝は、選手層が厚いチームが上位に行く。底力のあるチームの構築には時間がかかるが、1つひとつの出来事が起爆剤となり、チーム力は加速していくものだ。今大会における根岸の出走は、大きな一歩でもある。ただし、箱根駅伝の規定上、学生連合で1人の選手が出場できるのは1度まで。出走前後で、根岸の心境にも変化が生じていた。

「保科コーチが来て、箱根駅伝プロジェクトが立ち上がった時は、自分が出られればいいという個人としての感情でした。ただ、来年以降“個人”として選抜に選ばれる可能性が僕にはないので、それが失われたら何が残るのかと思ってもいたんです。今回の箱根が終わったらやる気が続かないんじゃないか、と。でも走り終わって『あっ、チームで出られる可能性があるんだ』とあらためて気づいた。部員には、可能性が0.1%でも、目指さないともったいない舞台だと伝えました。21km走って、感覚を変えられましたね」

保科コーチは言う。

「箱根前はチームに対して熱い気持ちを言ってくれることはなかったので、それだけ走った人を変えてくれる大会なんだなと。根岸がしっかりと経験を持ち帰ってくれた。意識がワンランク上に行きましたね」

これが4年生であれば、箱根駅伝を走ってから卒業まで2カ月しかない。3年生の根岸は、唯一の経験者として来年も主軸を担うことになる。“1年”と“2カ月”の差がもたらすチームへの影響は小さくないだろう。