不倫疑惑の山尾氏と、暴言問題・豊田真由子氏の明暗

そんな2017年衆院選において、特に私にとって見逃せなかった候補者が、山尾志桜里氏と豊田真由子氏だった。共に40代前半で東大法学部卒、選挙前にそれぞれ不倫疑惑と暴言問題で、メディアを大いに沸かせた二人だ。だが私は、この文句なしに世代を代表する才媛二人のそれぞれの醜聞は、「女性活躍推進」の時代にとって、大きな意義のあるものだったと受け取っている。

女性活躍とはすなわち、社会のあちこちの場面に男性の姿があると同様に、同じ重要性で……つまり、アシスタントや“華”ではないという意味で、社会のあちこちの場面に女性の姿があるのが当然の風景となることだ。これからの時代、本当に女性が活躍するようになれば、女が褒められるばかりであるわけはない。政治の世界に限らず、男性が中心の世界で女性がちやほやしてもらえるのは、その存在が希少だから(量的未達)、あるいは「男を脅かさないから」(質的未達)がゆえである。男性同様に遠慮なく嫉妬され、スキャンダルをお見舞いされ、プライバシーなど踏みにじる下衆な報道をされ、人々の口の端に上がりボコボコに批判されるようになって初めて、女性も男性と同じ重要性があると評価されたのだと思っていい。たとえ下世話な話題であろうとも、話題として成立するのは知名度やタレント性がある証拠。だから山尾氏も豊田氏も、こうして容赦なくたたかれたということは、男性政治家と同じ重要性で「いっぱしの政治家の仲間入りをした」ということだ。

ところが、まず豊田氏の落選が確定した。離党後、自公が新たに擁立した穂坂泰氏を向こうに回して戦った埼玉4区。穂坂氏はトップ当選し、豊田氏は得票率最低だったという結果に、あのような報道で人格を疑われ、政治家としての資質に徹底的に疑問を持たれるとはこういうことなのだと感じた。しかし私は思うのだ。もし、豊田氏が男性であっても同じ結果になっただろうか。単なる不人気ではなく「人格の不承認」となると、男性よりも女性において容赦のない結末が待っているものだ。

対して山尾氏の愛知7区は、山尾氏と自民候補・鈴木淳司氏との一騎打ち。アンチ自民票が元民進党の顔の一人であった山尾氏に流れ込むという好条件と、しかもスキャンダルが皮肉にも後押しした圧倒的な知名度とで、元経産副大臣である鈴木氏とたった734票差で辛くも競り勝った。

「保育園落ちた日本死ね!!!」の件など、ある意味で現代の「女子供のリベラル」を代表して安倍政権との明らかな対決イメージを持つ山尾氏には、不倫疑惑があっても、政治家としての活動に評価が与えられたということなのだろうか。政治家としての公人格とプライベートな人格とを分けて評価する、まるでフランスやイタリアのような感覚が、日本の政治家に対しても持ち込まれたのだとすれば、これは世間の想像以上に画期的なことだ。なぜなら、不倫問題が起きたときも、男性よりも女性のほうが激しいバッシングを受けるのが常なのだから。

政治家として優れていることが、個人として家庭人としての誠実さに疑問を持たれることよりも優先される時代が到来したのだとすれば、それはここ2年ほどの週刊誌が執念深く有名人の不倫問題をほじくり続けた結果、新たにすがすがしい価値観の地が拓かれたということかもしれない。