大阪で直面した「文化の違い」

大阪では文化の違いにも直面しました。関東では通用した常識も、大阪を中心とした関西では通用しないのです。東京本店での仕事が長かった私には、少々面食らうことも多かった。

さらに、当時の大阪は東京など国内の他都市と比べて経済環境が優れず、客先である企業の設備投資も活発ではありませんでした。そうした諸々の環境があるために、当時の大阪支店の営業部門には、あきらめムードが漂っていました。

しかし、状況はどうあれ、あきらめるわけにはいきせん。赴任後すぐに、自らが範を示すつもりで積極的に外へ出ることにしたのです。その頃には私にも、責任感からくる物怖じしない社交性が身に付いていました。

積極的に外へ出れば、受注に結びつく出会いもあるし、そうでなくても人脈の幅が広がります。そうした姿を見せることで、部下にはアクションを起こすことの大切さと、仕事のやり方に工夫を凝らすことの大切さを学んでもらいました。

営業ではこんな工夫をしました。たとえば新規の投資を手控えているお客様には、予算範囲内の設備改善を行うことで年間のランニングコストが下がり、短い期間で投資回収ができるというプランを提案しました。新規プロジェクトの受注には至らなくても、客先の設備リニューアルのお手伝いをすることで、先方の利益になり、当社の業績にもつながるというやり方です。

何気ない行為が見られている

また、こうした営業活動では大事なことに気づかされました。お客様と直接向き合うことで、先方の意向を誤解することなく取り入れることができるし、状況の変化にもすぐ対応できます。そして何よりも、直接お会いすれば、会わないでいるよりも真意が通じやすいのです。

大阪支店在勤中の08年には取締役に任じられ、会社全体の利益のために働く立場となりました。ちょうどその頃のことです。当時の石井勝会長が大阪へ出張に来ては、私にあれこれと話をしてくれるようになったのです。