朝日社説と同じ表現と論調の東京社説

東京の社説も朝日社説と似たり寄ったりである。

たぶん、この社説を書いた東京新聞の論説委員は、1日早く紙面化された朝日社説を読んでいるのだろう。表現こそ多少違うが、子供の受動喫煙のくだりなど筆の運びや論調が同じである。

まずリード(東京社説には他紙の社説と違いリードが付いている)で、「他人のたばこの煙にさらされる受動喫煙から、子どもを守る取り組みは支持したい。けれども、家庭での喫煙の在り方にまで口出しするのは、度が過ぎるのではないか。保護者の良識に委ねたい」と書く。

「受動喫煙を支持する」としながら「家庭での禁煙に口出しは度が過ぎる」と書く。こういうところが、朝日社説以上に読者を混乱させる。

朝日社説と同じように「気がかりなのは…都民ファーストの会と公明党が共同で出す予定にしている、子どもを受動喫煙から守る条例案だ」と書き、こう指摘していく。

「だが、喫煙は合法だ。私的領域の営みにまで法令をもって踏み込むのは、行き過ぎではないか」
「何事によらず、公権力による私的空間への介入は慎重であるべきだ」

「公権力」という言葉を使うところなど、朝日社説の横取りに思えてならない。

分煙による受動喫煙の防止は技術的に不可能

ここで受動喫煙や喫煙について沙鴎一歩の考えを述べておこう。

私自身は30年以上、たばこを吸い続けた。楽譜の休止符マークが付いた「いこい」、味の甘い「ハイライト」、フィルターに活性炭が入った「セブンスター」、煙が多くて辛い「ショートホープ」、それに臭いのきついといわれる「チェリー」……。すべて沙鴎一歩が吸ってきたたばこである。

当時、喫煙専用室はなかったし、受動喫煙という言葉もなかった。新聞記者という仕事柄というと大げさかもしれないが、原稿を書きながらよく、たばこの煙をくゆらせていた。

しかし10数年ほど前に止めた。喫煙を親しい医師に注意されたのが、禁煙のきっかけだ。ニコチンガムをかみ、ニコチン中毒と闘ってたばこをなんとか断ち切った。

たばこを止めて気が付いたのは、煙の臭いのきつさである。とくに喫煙者の口や鼻から吐き出される煙の臭いにはムッとさせられる。しかもこの煙を吸わされることでがんを罹患する確率がグッと上がるというのだからたまったものではない。

だからこそ、受動喫煙からたばこを吸わない人々を守るべきだ。飲食店では受動喫煙の防止を徹底したい。店内に喫煙ルームなどを設置して分煙によって受動喫煙が守れると主張する意見もあるが、たとえば喫煙ルームのドアの開け閉めすることで煙は外に漏れ出す。分煙による受動喫煙の防止は、現在の技術力では不可能だといわれている。