自分も不倫中で後ろめたいから他人の「悪」を攻撃
1) 否認=自分には不倫願望などないと自己正当化
まず、不倫という他人の「悪」を徹底的に攻撃することによって、自分にはそんな「悪」などないかのようなふりができる。とくに誠実であるべき責任を分かち合う配偶者の前で、他人の不倫を攻撃すれば、自分には不倫願望のようなやましい欲望などないのだと自己正当化できる。
夫婦生活において大切な誠実さが、絶え間ない誘惑をしりぞけて初めて守られることは、既婚者であれば誰でも多かれ少なかれ経験しているはずだ。だからこそ、不倫願望を心の奥底に秘めていながら、我慢せざるを得ず、実行に移せない人ほど、他人の不倫を激しくたたく。
あるいは、自分が実際に不倫という「悪」に手を染めているからこそ、他人の同じ「悪」に敏感で、目ざとく見つけて攻撃する場合もあるだろう。
数年前、朝のワイドショーで「ご意見番」として正論を吐いていた演出家に長年不倫関係にある「第二夫人」がいると週刊誌で報じられたが、この演出家はタレントのスキャンダルを激しく糾弾することで有名だった。若い俳優が二股騒動を起こしたときは、「とんでもない男。誰にでも結婚しようと言っている」「本当にうさんくさい」などと厳しく追及したものだ。
このように、他人の「悪」をたたいておきながら、実は自分も似たようなことをやっているのは、この演出家に限らない。以前、戦場取材で知られたジャーナリストの不倫騒動を厳しく非難した“ロックンローラー”が、不倫相手の女性から別れ話を持ち出され、脅して復縁を迫ったなどとして逮捕された事件があったが、これなんか典型だろう。
いずれも、不倫という「悪」など自分にはないのだと否認するためにこそ、他人を責める。当然、後ろめたいところがあるほど、攻撃は激しくなる。いわば自己防衛のために他人を攻撃するわけだが、これは不倫に限った話ではない。
妻の浮気を疑って責める一方、自分は若い女の子と浮気
たとえば、「政務活動費」架空発注疑惑で議員辞職した元神戸市議の橋本健氏は、他の神戸市議の不正流用が発覚したとき、激しく攻撃したという。
「2年前、市議の不正流用が発覚した際、橋本はそれに多少なりとも関わった議員を全員呼び出し、“自分ら大変なことをしてくれたな!”“今の状況わかっとるんか!”などと上から目線で責め続けました」
と、神戸市の自民党関係者が証言している(『週刊新潮』9月7日号)。
その本人が同じ時期に不正に手を染めていたのだから、笑ってしまうが、こういう人はどこにでもいる。他人がちょっとでも嘘をつくと激しく非難するのに、自分は嘘八百のニセ医者女史とか、妻の浮気を疑って責めるくせに、自分は若い女の子と浮気している夫とか、枚挙にいとまがない。
この手の人を見るたびに、「もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい」というラ・ロシュフコー(17世紀のフランスの貴族・文学者)の辛辣な言葉を思い出す。後ろめたいからこそ、他人のあらを見つけると、必要以上に怒らずにはいられないのだろう。