──なのにどうして「最も行きたくない街」に。
そうだろうなと思って調査したんだが、こんなに低いとは思わんかった。しかし自己反省のためにも、公表してみよみゃあと。まあ、戦災復興事業がまずかったんだなあ。太平洋戦争中、零戦を造っとった軍事都市だったもんだから、めっちゃくちゃにやられた。その後がいかんのだわ。壊れた街に道路をひくのに「商業地域等は原則幅8メートル以上に」とした。これで細い生活道路を全部ぶっ壊したの。東京や大阪だと雰囲気ある街並みが昔のまま残っていて、歌にもなっているでしょう、「月の法善寺横丁」「銀座の恋の物語」とか。名古屋は歌われん。ダーンと広い道路があって、ドーンと高いビルが立っている。仮に歌をつくるなら「ああ、固定資産税」と歌わないかん(笑)。
──今後、名古屋をどうしようとお考えですか。
それをみゃあばん飲みながら考えとる。1つだけ言うなら、空襲で焼け鉄筋コンクリート造になった名古屋城の天守閣を木造で復元する。これを起爆剤に街づくりをやる。外国人が名古屋にくると、わしは「city of dreams or city of restart」なんていうんだわ。戦争で地獄を見て、でも立ち直って世界一の産業都市になった。今度は街づくり。できゃあテーマだと思っとるわ。
(撮影=山口典利 名古屋弁校正=川脇哲也)