そして3つ目は、これは歌詞カードには載っていないのだが、間奏前に桑田が叫ぶ英語フレーズである。私の聴き取りでは「Music Come On Back To Me, Yeah!」

また矢沢永吉の話で恐縮だが(それくらい、桑田と矢沢は密接な関係にある)、当時の矢沢も、このような謎な英語のシャウトをよくしていた。ただし、桑田と矢沢で違いがあって、桑田の方が、何というか、英語シャウトが「板に付いている」感じがするのだ。

日本ロック史上初の本格的英語シャウト

おそらく洋楽を聴いた量の違いだろう。当時より圧倒的な洋楽知識を持っていた桑田に対して、矢沢永吉は、78年発売の自著『成りあがり』(角川文庫)の中で、自分で買ったレコードはたった4枚しかないと公言している。

「Music Come On Back To Me, Yeah!」は、洋楽を血肉とした日本人による、日本ロック史上初の本格的英語シャウトだと言えよう。ある意味「♪胸さわぎの腰つき」よりも、インパクトは大きい。

私が≪勝手にシンドバッド≫を初めて聴いたのは、小学6年生の分際で親しんでいた深夜ラジオだった。確か、水曜深夜の『タモリのオールナイトニッポン』ではなかったか。あの歌い方にこの歌詞。邦楽か洋楽かすら分からなかった。そもそも、「何が起こっているのかすら分からない」という感じで、とても混乱したことを憶えている。

そんなかたちで、日本に「桑田語」が撒き散らされた。文語調・七五調で意味深な歌詞世界から、「日本語のロック」が解放された。そして「桑田語」は、その17年後、95年発売≪マンピーのG☆SPOT≫にある、「♪芥川龍之介がスライを聴いて“お歌が上手”とほざいたと言う」に極まることとなる。

スージー鈴木(すーじーすずき)
音楽評論家
1966年、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書に『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』『1979年の歌謡曲』『1984年の歌謡曲』がある。
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