※以下はスージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)の第1章「1978年―サザンオールスターズ、世に出る。」からの抜粋です。
日本ロックの革命記念日
1978年6月25日、日曜日。神奈川県の天気は、曇りのち雨──。
この、どこにでもあるような休日こそが、日本ロックの革命記念日だったという話をしたい。それが、本書執筆の最大の動機である。
シングル≪勝手にシンドバッド≫の発売日。
日本のポップス、のちに「Jポップ」と呼ばれるカテゴリーにおいて、キーパーソンを3人選べと言われれば、松任谷由実、山下達郎、そして桑田佳祐であると、確信を持って答える。そして、この3人は、デビューアルバムの、それもA面1曲目から、そのありあまる才能を、惜しげもなく披露している。
山下達郎(シュガー・ベイブ):≪SHOW≫(『SONGS』)
桑田佳祐(サザンオールスターズ):≪勝手にシンドバッド≫(『熱い胸さわぎ』)
この3曲について、商業的には桑田の圧勝である。オリコンで最高位3位、50万枚を売り切った≪勝手にシンドバッド≫に対して、≪ひこうき雲≫や≪SHOW≫は、シングルカットすらされていない。
しかし、その反動として、≪ひこうき雲≫や荒井由実、≪SHOW≫やシュガー・ベイブの方が、往々にして、伝説性を持って語られ、かたや≪勝手にシンドバッド≫は、あのころの大衆全員が体験した「現実」として、淡々と語られることになる。
小さく見積もられる「桑田/サザン」
≪ひこうき雲≫については、死に直面した少女のことを表現した文学的な歌詞世界と、教会音楽に根ざした高度な音楽性を持った、天才少女の登場。
≪SHOW≫については、完成された伸びやかな歌声と、抜群の音楽知識によって、日本に垢抜けたポップスを確立する天才シンガーの登場。
などと、一般にそう語られがちで、それは間違ってはいないのだけれど、デビュー当時の荒井由実と山下達郎が、さほど売れなかったからこそ、2人が商業的成功を得たのちに、いわゆる「後付け」で、そういう文脈に「盛られた」のではないかと疑うのだ。
逆に言えば、デビュー時から売れたからと言って、桑田/サザンの存在が、低く、小さく見積もられるのだとしたら、こんなに貧乏くさい話はない。なぜならば、ポップスとは、売ることを最終目的とした音楽ジャンルなのだから。
では、≪勝手にシンドバッド≫の何が凄かったのか。何が革命だったのか。
ひと言でいえば、「日本語のロック」を確立させたことに尽きる。