次に「発音」。こちらも注意深く「子音」と「母音」に区分すると、まず「子音」は、英語的に破擦音(カ行やタ行)を強調(クァ、ツァ)すること。「母音」では、ア・イ・ウ・エ・オの5音に留まらず、こちらも英語的に、たとえばアとエの間の音などで歌うこと。これらの新しい「発音」を、日本語ボーカルに取り入れたことが、桑田の大きな功績となる。
桑田は矢沢永吉を意識していた
その源流としては、まずザ・テンプターズの萩原健一(ショーケン)。桑田へのインタビュー本『ロックの子』(講談社)では、子供のころに萩原の歌を研究していたとの発言があり、そこに添えられた、ザ・テンプターズ≪エメラルドの伝説≫の、桑田本人による物まね発音の表記が、実に示唆的である──「♪むィいずうみぬィ~きみはむィをぬァげッつあ~」(=湖に君は身を投げた)。
また「発音」面でも、大滝詠一の影響はあるかもしれない。しかし、それよりも何よりも、最大の存在がいるだろう。キャロル時代の矢沢永吉である。
その『ロックの子』で桑田は、キャロルの歌を「鼻についちゃったんだよね」とあからさまに否定しているが、否定しているということは意識していたということだ。そして桑田は何と、アマチュア時代にキャロルのコピーを披露している(75年7月「第2回湘南ロックンロールセンターコンサート」)。また、≪勝手にシンドバッド≫では、ラ行で舌を巻いているのだが(例えば「♪それにしても涙が止ま≪ら≫ないどうしよう」の「ら」)、このあたり、ひどく「矢沢的」である。
というように、突然変異的に見えながら、実はここに挙げたような、古今東西の様々なボーカルスタイルをガラガラポンした結果として生まれた、あの声、あの歌い方。それこそが、「革命」を推進するエンジンだったのだ。
「勝手に」で重要な3つのフレーズ
≪勝手にシンドバッド≫の衝撃を構成する、もう1つの大きな要素は歌詞である。「桑田語」とでも言うべき、とても独創的で斬新な感覚の言葉に溢れている。
今改めて≪勝手にシンドバッド≫の歌詞を見ると、その後のサザンの歌詞とは異なり、英語のフレーズがまったく入っていないことに驚く。
デビューアルバム『熱い胸さわぎ』に収録された≪勝手にシンドバッド≫以外の曲では、英語フレーズがいくつか使われている。代表的なものは、≪別れ話は最後に≫の歌い出し=「♪Listen to the melody 寝てもさめてもMemory」。この日本語と英語をチャンポンする方法論の先達もまた、キャロルである。桑田に対する、いや日本ロック史に対するキャロルの影響の大きさを、冷静に捉えなければならない。キャロルが低く見積もられるのは、音楽ジャーナリズムにおける「はっぴいえんど中心史観」の悪影響である。
≪勝手にシンドバッド≫の歌詞に話を戻せば、重要なフレーズは3つある。
1つは何といっても「♪胸さわぎの腰つき」。この曲の中で、最も重要なフレーズ。
よく考えてほしい。「胸さわぎの腰つき」の具体的意味は何か、と。歌詞の文脈を追えば、その「腰つき」をしているのは「あんた」だから、女性だ。女性自身が「胸さわぎ」をしながらの「腰つき」なのか、もしくは「俺」に「胸さわぎ」を与えるような「腰つき」なのか。そもそも「腰つき」って何だ? 腰のかたち? 腰の動き?
つまりは、意味の連想は人によってバラバラなのである。しかし、文字列としての「胸さわぎの腰つき」が与えるイメージ連想としての、切迫感や焦燥感、卑猥さ……などは、人によっても、かなり均一だと思う。「意味が通じないから」ということで、このフレーズを、スタッフが「胸さわぎのアカツキ」や「胸さわぎのムラサキ」(!)に変えようとしたという話がある。変えてくれなくて本当に良かった。
2つ目は「♪江の島が見えてきた 俺の家も近い」。
1番とはわざわざメロディを変えて強調されるこのフレーズ。曲の中では、先に述べたように、前衛的で意味不明な歌詞世界の中で、唯一、具体的な情景が広がる場面である。このフレーズの有無で、この曲の大衆性はかなり違ってくると思う。つまり、このフレーズがあったからこそ、最高位3位、売上枚数50万枚が実現したのだと、大げさではなく、そう思う。