産業がなければ街は維持できない。1993年、北海道・奥尻島は津波被害に襲われた。総額で763億円の復興事業が行われ、インフラは整ったが、人口減少には歯止めがかからなかった。現在、三陸地方は震災からの復興を進めている。大和総研主任研究員の鈴木文彦氏は「成長分野の雇用増を考えて、復興事業を進める必要がある」と指摘する――。

インフラ整備が先か、住民が先か

中心市街地の活性化にあたっておさえるべき前提として、第一に都市の人口、いわば街のキャパシティは産業構造によって決まること。第二に街のスタイルはその時代の主要交通手段で決まることをあげた。今回は第一の街のキャパシティについて述べる。都市の体裁を維持するためには人口減少のトレンドに歯止めをかけなければならない。

器が先か中身が先か。東京都心のベッドタウンなど都心に通勤する住民を誘致するために住宅地を造成したり、商業施設や子育て施設を充実したりすることはありえる。それ以外の地方都市においては必ずしもそうではない。街のキャパシティを増やせば人口も増えるというわけではない。直感的な理解に役立ちそうな事例として、復興まちづくりの先例から考えてみる。

1993年7月13日、最大震度6の北海道南西沖地震が奥尻島(奥尻町)を襲った。東日本大震災と同じように津波被害が大きく、島の人口の4%にあたる198人の死者、行方不明者があった。震災後、奥尻町は住宅地の高台移転、防潮堤や避難誘導路の整備など復興事業を実施した。島を囲む防潮堤の総延長は約14kmにおよぶ。1998年には収束し町は「完全復興宣言」をしたが、復興事業費は763億円に上った。他にも190億円ほどの義捐金が集まった。当時の人口を5,000人として単純に割れば1人当たり1,900万円となる。

それでも人口減少に歯止めをかけるには至っていないようだ。2015年の国勢調査人口は2,690人と30年前に比べほぼ半減している(図表1)。減少幅を15歳以上の就業者、非就業者と15歳未満の人口に分解してみた。就業者の落ち込みをさらに職業別に分類してみると、農林漁業が最も大きかった。工場労働者、建設作業員がこれに次ぐ。元々漁業を基幹産業としており、後継者難から就業者はだんだん少なくなっていった。就業者が少なくなると扶養家族も少なくなる。少子化が拍車をかけ15歳未満人口の減少幅は一段と大きい。