私たちは何のために働くのか。自分のためか、チームのためか。中日に岩瀬仁紀という投手がいる。42歳。日本一の「セーブ王」で、「1000試合登板」という前人未踏の記録に迫りつつある。「自分の記録は興味ない」「チームが勝つことが第一」。そう公言する「地味だけどすごい働き方」とは――。
プロ野球交流戦・中日-西武で8回、投球する中日の岩瀬仁紀投手=6月18日、ナゴヤドーム(写真=時事通信フォト)

中日ドラゴンズの「記録製造器」

さほど野球に詳しくなくても、日本プロ野球に岩瀬仁紀、という投手がいることはご存じだろう。低迷が続く中日ドラゴンズ所属だけに、印象は薄いだろうが「長い間、投げている左投手」「リリーフ専門のような……」というぐらいのイメージは浸透しているのではないか。

この岩瀬という男、地味ではあるが、むちゃくちゃすごいのである。前人未到の記録をいくつも持ち、不惑を過ぎても腕を振るい続け、これからも記録を打ち立てようとしている。まさに歩く「記録製造器」。記録のデパートなのだ。

岩瀬といえば「セーブ王」というのが一般的な評価だろう。これまでに積み上がったセーブ数は、403。2位はヤクルトなどで活躍した高津臣吾の286だから、その偉大さが分かる。大魔神こと佐々木主浩は日本で252、米メジャーリーグで129のセーブを稼いでいるが、日米通算しても岩瀬に及ばない。プロ・アスリートは「記憶」に残るタイプと「記録」に残るタイプに分かれるが、岩瀬の場合は典型的な後者なのだ。

入団以来15年連続50試合以上投げ続けた。それまでの記録が、9年連続だったというから、これも前人未到。この記録は2014年に途絶えたが、今年、42歳にして復調。4年ぶり、16度目の50試合登板の達成を予感させる。

シーズン記録では05年に年間最多セーブの46という記録を打ち立てている。この年を含め、5回、年間最多セーブ投手となっている。

岩瀬は愛知県の西尾東高校から愛知大学、NTT東海を経て1999年に中日入り。大学時代は、投打二刀流だった。打撃では通算安打124本で愛知大学リーグ記録にあと1本まで迫った。後に本人も振り返っているが、もしリーグ記録を打ち立てていたら打者としてプロを目指していたかもしれない。大学時代の安打数が記録に1本足りなかったことが後の「記録製造器」を生んだことになる。

「セーブ王」までの回り道

「セーブ王」にたどり着くまで、岩瀬は回り道をしている。入団したころの中日は投手王国だったため、役割はだいたい7、8回を任せられる中継ぎ投手だった。抑えになったのは30歳を迎える2004年のシーズンの途中から。遅咲きだったが、翌05年以降は9年連続30セーブ以上という金字塔を打ち立てた。抑えになってからわずか7年目の10年に250セーブをクリアして名球会入りを果たしてる。

圧倒的な決め球があるわけではない。全盛期は140キロ台後半が出た直球は、130キロ台に落ちた。持ち味はスライダーを内外角に出し入れする投球術。完璧に抑えるわけではなく、ランナーを出すが最終的には無得点に抑える、というのが岩瀬流だ。ファンの間では「3凡」ならぬ「4凡」という言葉がある。つまり、打者をきりきり舞いさせて3者凡退に抑えるのではなく、1イニング投げる間に1人ぐらいは安打か四球で走者を出し、それでも0点で抑える岩瀬の「ルーティン」を表している。

ルックスは地味だ。試合後のインタビューもあか抜けしない。「自分の記録は興味ない」「チームが勝つことが第一」などなど。当然、メディアで大きく扱われることは少ない。