人生を“積分”してわかった「人生の8割を消化済み」
直近1年間の時の流れ方を人はこれまでに生きてきた記憶の総量と比較します。5歳の1年間がこれまでの人生の5分の1、80歳の1年間がこれまでの人生の80分の1であるように、X歳の1年はこれまでの1/Xで体感されます。
これを積分すると
Y=KlogX
になります。
仮に5歳くらいから幼少期の記憶があるとして、5歳から20歳までの心理的な体感時間は
Klog20-Klog5
20歳から80歳までの心理的な体感時間は
Klog80-Klog20
になります。
(Klog20-Klog5)÷(Klog80-Klog20)=1
つまり、分子の(Klog20-Klog5)と分母の(Klog80-Klog20)は同じ「体感量」。ということは、人間は20歳までで体感時間的にいうとなんと人生の半分を終えていることになるわけです。
▼47歳なのに「人生の8割が終了」背筋が寒くなった
いま、僕は47歳です。仮に80歳まで生きるとして僕の体感人生を計算してみると80.81%は既に終了しています。
(Klog47-Klog5)÷(Klog80-Klog5)≒0.8081
すでに過ぎ去ってしまった人生を振り返ったときに体感的に8割以上も使ってしまった事実には唖然とせざるを得ません。僕は、この文章を書いていて背筋に冷たいものが走りました。
禅寺には、板木(はんぎ)に次のように掲げられています。
「生死事大 光陰可惜 無上迅速 時不待人」
意訳してみましょう。
生きることと死ぬことは人生の一大事 一瞬を惜しみ 今を大切に 人の世はうつろう 時は人を待ってくれない。
と、意訳したところで、気づきました。
「あ! 僕の人生は終わりかけている……蓄財とか資産形成ばかりに目を向けていないで、幸福のためにお金を使う必要があるよね」と。
自分の体感人生を計算してみて、僕は始まったと思ったらすぐに終わる人生の短さと儚さの中で、『淮南子』の「説林訓」のかげろうのようにその楽しみを尽くす方向にお金を投じていく必要があると感じました。