孫子の教えで重要なのは「戦わずして勝つ」ことではない。「戦わずして負けない」ことだ――。上司と部下の問題に応用し、乱世に生き残る術を検証する。

敵を殺すものは怒りなり。敵の利を取るものは貨なり

兵を戦いに駆り立てるのは敵愾心である。敵の物資を奪取させるためには、手柄に見合う褒美を与えねばならない――。

「やる気なし上司」が、成果を上げている部下に嫉妬し、少しでもやる気を起こしたり、上司らしさを見せ始めたりしたら、大いなる前進だと考えていい。

「誰しも戦争なんてやりたくない。そこで孫子は、部下の兵をやる気にさせるために、生存本能と損得勘定の2つを刺激することを教えているんです」(守屋氏)

非常に重要な指摘である。部下が自分の地位を脅かすほどの評価を得たら、たいていの上司は生存本能が目を覚ますからである。あるいは、さほど地位に固執しない上司でも、自らの報酬には敏感であろう。秘かに損得勘定を弾き、給料やボーナスに響くと考えれば、否が応でも奮起せざるをえない。ただし、生存本能と損得勘定がむしろ逆に作用し、部下の活躍によって安穏としているだけなら、やはり「やる気なし上司」のままである。

そこで、少し戦術を変えてみる。

囲師には必ず闕き、窮寇には迫ることなかれ

敵を包囲したら、必ず逃げ道を開けてやり、窮地に追い込んだら、それ以上、攻撃をしかけてはならない――。

「追い詰めすぎはよくないと戒めている。相手に大きなマイナスの感情を植えつけてしまうと、復讐の念をたぎらせることにつながる可能性があります」(守屋氏)

では、上司に対して、追い詰めすぎない程度にどう包囲するか。古川氏は、「斜めの上司」をキーパーソンに挙げた。上司の同僚もしくは同期で、直属ではない上司に相談するということである。

「まともな人であれば、直属ではなくても部下にあたる後輩に『みんなが困っているんです』と相談されたら、聞く耳を持つ。その別部署の上司が、自分の上司に注意してくれることが期待できます」

この段階では、「やる気なし上司」の上役への相談は控える。相談相手は、あくまでも「斜めの上司」である、その上司と仲のいい同僚格の人を対象とする。上司の上役に相談すると、さらに役員クラスの耳にも入り、組織問題に発展しかねない。いくら上司に非があっても、逃げ道だけは用意しておくことである。

守屋氏は、「落としどころを考えることが重要なのではないか」と提案する。

「上司を打ち負かして自分が勝ったとしても、あとあとに尾を引いて、かえって悪い結果を招くようでは、本末転倒です」

上司を屈服させることが目的ではない。上司の同僚格の人への相談にとどめるのと同様、攻勢に打って出る際は、必ず落としどころを考えておく。それも、2つ、3つというように、複数考えておく。結果をイメージできる想像力が問われる。

守屋 淳●中国古典研究家

1965年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務を経て、現在、中国文学の翻訳・著述家として活躍。『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ』『最強の孫子』『活かす論語』『孫子とビジネス戦略』『逃げる「孫子」』『中国古典の名言録(共著)』など著書多数。
(的野弘路、増田安寿=撮影)