経済成長が必要かどうかという論争がある。日本の人口は減少に転じ、少子化の中、労働力人口も少なくなってくるので、かつての高度経済成長時代のような成長を続けるのは難しいかもしれない。もちろん、人工知能に象徴されるイノベーションは起こるだろうから、経済成長を最初から諦めることはない。1人当たりの国内総生産を高めるなどの政策は、これからも必要だろう。
それでも、低成長時代をどう生きるかという「知恵」を磨いておくことには意義がある。ビジネスにおいて、自分が発展すること、社会や国が成長することを目指すのは当然として、もし低成長になっても、人生を楽しみ、幸せに暮らす技を持っておくに越したことはない。
低成長時代の幸せのあり方を探るうえで大いに参考になるのが「落語」である。
落語が生まれ、育った江戸時代は、元禄など経済規模が大きくなった時期もあったとされ、必ずしも低成長だったとも言い切れない。しかし、古典落語の中に、生活をつましくしかも楽しく暮らす知恵がちりばめられていることも事実である。
例えば、「長屋の花見」。古典落語の中でも最も有名な演目の1つで、聴いたことがある人も多いだろう。
長屋の住人たちが、大家さんに呼び出される。家賃の催促だと思ったら、花見に行こうと言う。世間が貧乏長屋だと馬鹿にして悔しいから、振り払うためにパーッと景気をつけようというのである。
ところが、大家さんが用意したお酒は、お茶を薄めたもの。かまぼこは大根で、卵焼きはたくわん。つまりすべて偽物だけれども、本物のふりをして、世間に見栄を張ろうというのである。
一行は上野に花見に出かける。お茶を飲んで酔ったふりをしたり、どこかにご馳走が落ちていないかときょろきょろしたりと大騒動。
最後は、住人の一人が「これからこの長屋にいいことがありますよ。なぜって、酒柱が立っています」と言ってオチとなる。ほんとうは茶柱なのだけれども、お酒のふりだというので洒落たのである。
他愛もない話だが、聴いているととても楽しい。描かれている長屋の住人たちの心もいきいきと感じられる。むしろ、現代では失われてしまった幸せのかたちがそこにあるとさえ感じられるのである。