私たちにとっての“罪を犯す価値”とは

デューク大学の行動経済学者のダン・アリエリー氏は、人はなぜ、どういうときにズルを働くかを調べる実験を行った。内容は「問題が20問書かれた紙を配り、正解数に応じて料金を支払う」というもので、1問正解するごとに1ドル支払われる仕組みだ。最初のグループにはそのまま解答用紙の提出を求め、2番目のグループには、紙を破いたりして提出せず、自己申告でもいいとした。すると、支払った料金は次のようになった。

1. 普通に解答用紙を提出  → 平均4問=4ドル
2. 紙を破きポケットにしまうか、一部だけ提出 → 平均7問=7ドル

ズルができる状況では、平均正解数が4問から7問に増える結果になった。

ここでは、誰でも損得勘定が働くだろう。たとえば捕まる確率と、不正から得られるメリットは何か? といった計算から、“罪を犯す価値“を決めていくというわけだ。

次に、同様の実験で持ち逃げできる環境を作る。問題の正解数に応じて、自分で皿から取っていくというもの。1問を1ドル、5ドル、10ドルと変えてみる。普通に考えたら、金額が大きくなったときのほうが、不正が多そうだ。ところが、金額の大きさによって不正は変わらず、金額に関わらず“多くの人が少しだけ”不正をしたという。

このときに働いている力を、アリエリー氏は2つ挙げている。

*自尊心から不正を抑えようとする力
*少しだけなら不正をしても 自尊心はまだ保てるという力

つまり、超えてはいけない一線を守りながら 自分の評価を傷つけない程度に、些細な不正から何かを得ようとする気持ちが働くというわけだ。では、どんなときにそれが働くのだろうか。

特別な人ではなく、誰もが少しのズルをする?

今度も同様に、解答用紙を破いて自己申告をするが、報酬を次のように変える。

A:X問正解したので、Xドルくださいと自己申告
B:X問正解したので、X枚引換券をくださいと自己申告(少し離れたところで換金)

なんと、紙幣でないBグループのときには、不正が2倍になってしまった。次は、実験謝礼金を先に渡し、正解できなかった問題の分だけ返させる。そして、ひとりだけサクラの学生を混ぜて開始から30秒で「全部正解したらどうしたらいいですか」と質問させ、試験官は終わったらそのまま帰るように促す。このとき、立ちあがったサクラの生徒は、以下2つの条件になる。

1. 同じ学校のパーカーを着た学生が不正をする
2. 違う学校のパーカーを着た学生が不正をする

1の同じ学校の生徒のとき、そこにいた学生の不正は増加する。つまり、同グループの人間が不正をした瞬間に、全員が不正をしても大丈夫だという認識を持つようだ。ところが違う学校の生徒(違うグループの人間)の場合、被験者たちは正直なままだった。

つまり、周りの人がズルをするとズルが増え、特に仲間であるほどにその確率は高くなっていく。これは、単に捕まる可能性が問題なのではなく、不正しても良いかの判断基準を与えてしまうことが問題なのだろう。

これらの実験から見て取れるのは……

*多くの人が不正をする
*しかもほんの少しだけズルをする
*不正と少し距離が離れると(例えばお金以外のもの)ズルは増える
*周りの人がズルをしているのを見ると、特に同じ仲間だとズルは増える

お金は盗めなくても、エンピツなら失敬してしまう……そんな気持ちと同じようだ。つまり、直接お金の形をしていなければ、結果的にお金を盗っていたとしても、罪悪感は薄れてしまう。だから、直接の金銭のやりとりがない、株式市場や手形などの取引では不正が発生しやすくなってしまう。

人が判断の基準にしているのは、自分の「直観」だが、「このくらいなら大丈夫だろう」と、間違った方向に誘導されてしまう可能性もあるわけだ。

これを抑える、ちょっと面白い反応がある。