さて、私はかなりの“メモ魔”である。手帳のほかにA4サイズの紙を四つ折りにしてスーツのポケットに入れ、現場で見たこと、感じたことを書き、必要があれば手帳に転記している。

ただし、昔からそうしていたわけではない。創業者・石橋信夫オーナー(故人)に仕えて身につけた習慣だ。石橋オーナーは、昭和30年代にプレハブ住宅の原点「ミゼットハウス」で住宅業界に革命を起こした稀代の事業家である。徒手空拳で大和ハウス工業を創業し、1兆円企業に育て上げた。その間の努力は並大抵ではなかったはずだ。

「フッと出てきたときに書いておかないと忘れていく。そんなもんやで」と、枕元やトイレにまでメモ用紙を置いていたことを鮮明に思い出す。

社員に伝える故オーナーの教え

私が社長に就任したのは2001年4月。前年の暮れ、石橋オーナーから「来年3月末までに全事業所、支店、工場を回って、訓示してきてくれ」と指示された。社内にはびこりだした大組織病を心配されたのだと思う。

案の定、現場の雰囲気は沈滞し、社員たちは顧客ではなく上層部ばかり見ていた。私は問題点や課題をメモに取り、考えられる対策を手帳やノートに書き出した。そこから導き出された社内改革案は、事業部制の廃止と全国80に改編する支店長の権限強化だった。

その頃のオーナーは、石川県・羽咋の別荘で闘病生活を送っており、私は経過報告のために毎月通った。私が現状を説明すると、オーナーはあらかじめ便箋に書き込んでいた質問や要望を矢継ぎ早に繰り出す。長いときは、夕食を挟んで日付が変わっても話し合いは続き、私はそれを懸命にメモした。

晩年は耳も遠くなり、大きな紙を用意しての筆談に変わった。段ボール一箱分にもなったこれら命がけの「経営問答」は、すべて大切に残してある。このように、私が手帳を使うのは、オーナーの教えや古の格言・金言を書き留めることで自己を戒め、かつそれらを時代、時代に合わせてアレンジし、社員に伝えていくためでもある。

当社では社員全員にビジョンや戦略をわかりやすいスローガンにして、繰り返し発信してきた。その原形は、ふと思いついたらすかさずメモに残す。新幹線の中などでそれを手帳に書きつけていくうちにだんだんと思考が整理され、より簡潔な表現になっていく。