会議のメンバーに日本人男性しかいない違和感

2012年の「CX-5」に続き、2014年の「デミオ」と、この3年で2度も日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したマツダ。北海道で出会った女性たちの笑顔も生き生きとしていた。

だが、以前は違っていた。

「この会社は異常だ! 日本人男性しかいない」。米国の大手自動車メーカー・フォード社からマツダ社長に就任した誰もが、会議に集まったメンバーを見ると違和感を抱いた。

1979年にマツダに25%出資して影響力を強めていたフォードは、マツダが経営危機に陥った1996年のヘンリー・ウォレス氏を皮切りに2003年のルイス・ブース氏まで4代続けて米国から社長を送り込んだ。

「1997年にマツダ社長になったジェームズ・ミラー氏のときに、女性登用を含めた人事施策への指示がありました。それがキッカケでマツダの人材開発が多様化したのです」

常務執行役員でグローバル人事・安全担当の藤賀猛氏は、こう説明する。きっかけは“外圧”だが、日本人男性中心の自動車メーカーが変革に向けてハンドルを切ったのだ。

常務執行役員 グローバル人事・安全担当 藤賀猛氏。1958年生まれ、80年入社。一貫して人事畑を歩み、2011年より執行役員。「この会社は異常だ! 日本人男性しかいない。そう指摘されたんです」

フォード出身社長には米国人だけでなく、英国人やオーストラリア人もいた。異なる国籍の社長が続いたのも、多様性の企業風土を培ったのだろう。

「女性エンジニアの成長は、人事的には女性活用という狭い話ではなく、ダイバーシティの一環として取り組んだ活動が実を結んだもの。自動車メーカーにとって女性は大変重要な顧客で、日本においては購入決定権者でもあります」と藤賀氏は強調する。

「女性が仕事を続けるうえで障壁があれば、それを取り除く」――。ここ数年、企業の人事担当役員からよく聞く言葉も、マツダでは早くから認識して実践してきた。