「女性が仕事を続けるうえで障壁があれば、それを取り除く」――。マツダは早くからこれを実践し、女性たちの笑顔は生き生きしている。しかし、以前はそうではなかったという。女性が活躍するきっかけとなった出来事とは?

▼【前編】はこちら→http://woman.president.jp/articles/-/1204

言いすぎたと後で反省するくらい、上司にも率直に提案する

取材した中で最年少が26歳の芦原友惟奈氏。主にSUV車全般を担当し、シートの開発業務に関わる。車種のコンセプトに合わせたシートの性能目標を立て、ドライバーの座り心地や操作性を意識しながら柔らかさ・形状・表皮材を組み合わせて開発する。

車両開発本部 装備開発部 芦原友惟奈氏。1989年生まれ、2007年入社。主にSUV車全般を担当し、一貫してシート開発に携わる。「言いすぎたと後で反省するくらい、上司にも率直に提案します」

「開発にあたっては、上司にも率直に提案をするようにしています。『意見を出し合う』『耳を傾けてくれる』企業風土があります。たとえば『シートの柔らかさ』については、どの素材を選ぶか? ウレタンだったら硬度や密度のバランスが要素として関わります。日々やりがいを感じていますが、なかなか仕様が決まらず、最終に近い段階で関連部署から辛口のコメントを受けるときはツライですね。でもクルマの世界観とシートはリンクするので、他部署からの意見は大切です」

2012年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」にはマツダの「CX-5」が輝いた。

「開発陣の一員として参加できたのはうれしかった」と明るく語る芦原氏。普段は作業着で仕事をする本人のモットーは「作業着脱いで2割増し!」。仕事中はオシャレと無縁なので、アフター6や休日はファッションもメイクも気合を入れて楽しむ。

こうした女性目線を開発に取り入れるマツダだが、女性向けのクルマを開発するのでは決してない。

「誰にでもストレスなく運転できる」のが目指すところだ。たとえば女性ドライバーの中には、前かがみになって運転する人がいる。理由の一つが、シートが長すぎて膝下が窮屈なことだ。でも単純に短いシートを採用すると、身長の高い人は膝下に空間ができて運転中に疲れてしまう。そこで思案の末に「CX-3」や「デミオ」で導入したのが、振動吸収ウレタンという素材だった。大柄な人が座ると沈むのでシートが長く使えて、小柄な人では反発するので沈みこまないという。バリアフリーではなく、誰でも使えるユニバーサルデザインの発想と同じだろう。

会議のメンバーに日本人男性しかいない違和感

2012年の「CX-5」に続き、2014年の「デミオ」と、この3年で2度も日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したマツダ。北海道で出会った女性たちの笑顔も生き生きとしていた。

だが、以前は違っていた。

「この会社は異常だ! 日本人男性しかいない」。米国の大手自動車メーカー・フォード社からマツダ社長に就任した誰もが、会議に集まったメンバーを見ると違和感を抱いた。

1979年にマツダに25%出資して影響力を強めていたフォードは、マツダが経営危機に陥った1996年のヘンリー・ウォレス氏を皮切りに2003年のルイス・ブース氏まで4代続けて米国から社長を送り込んだ。

「1997年にマツダ社長になったジェームズ・ミラー氏のときに、女性登用を含めた人事施策への指示がありました。それがキッカケでマツダの人材開発が多様化したのです」

常務執行役員でグローバル人事・安全担当の藤賀猛氏は、こう説明する。きっかけは“外圧”だが、日本人男性中心の自動車メーカーが変革に向けてハンドルを切ったのだ。

常務執行役員 グローバル人事・安全担当 藤賀猛氏。1958年生まれ、80年入社。一貫して人事畑を歩み、2011年より執行役員。「この会社は異常だ! 日本人男性しかいない。そう指摘されたんです」

フォード出身社長には米国人だけでなく、英国人やオーストラリア人もいた。異なる国籍の社長が続いたのも、多様性の企業風土を培ったのだろう。

「女性エンジニアの成長は、人事的には女性活用という狭い話ではなく、ダイバーシティの一環として取り組んだ活動が実を結んだもの。自動車メーカーにとって女性は大変重要な顧客で、日本においては購入決定権者でもあります」と藤賀氏は強調する。

「女性が仕事を続けるうえで障壁があれば、それを取り除く」――。ここ数年、企業の人事担当役員からよく聞く言葉も、マツダでは早くから認識して実践してきた。

社内保育施設が敷地内にある安心感

「おはよう~」。朝7時半になると、次々に園児たちが登園する。マツダの本社敷地内にある社内保育施設「マツダわくわくキッズ園」だ。父親の姿も多い。「朝早くはお父さんが手を引いて連れてくることが多いです」。園長の福原かおる氏が説明する。

女性社員によるプロジェクトチームの要望で開園したのは2002年。園の名称も社内公募で決まった。開園時から園長を務める福原氏は、運営会社ピジョンハーツの社員として園児の成長を見守ってきた。現在は43人の園児を預かり、保育士10人、栄養士3人、看護師1人のスタッフがいる。

保護者の勤務時間に合わせて7時30分~21時までの長時間保育を行う。体調不良児室も備え、近くにあるマツダ病院との連携もする。企業内施設として恵まれた環境だ。

商品本部の山下晶子氏が、年中組の次女・穂乃佳ちゃんを連れて登園してきた。現在は中学2年になった長男、小学5年の長女も、同園に預けながら仕事を続けたという。

商品本部 山下晶子氏。1974年生まれ、97年入社。3児の母。3人とも、敷地内にある社内保育施設に預けながら働き続けてきた。「上は中2から、下は4歳まで。3人の子どもを預けて働いてきました」

「同じ敷地内にある安心感は大きいですね。何かあったときも『ちょっと託児所に行ってきます』と抜け出せますから。戻った後で、上司も『どうだった?』と気遣ってくれます」

設置して13年。子育てを理由に退職する女性社員も激減したという。

以前に比べて働く環境が改善されたマツダだが、まだ長時間労働は残る。育児中で勤務時間の限られる【前編】で紹介した開発エンジニア・伊東氏は、「子育てとの両立で大変なのは、お迎えに行って18時に帰宅して19時に食事。洗濯をして、子どもをお風呂に入れて21時には寝かせる。その3時間がバタバタです。その中でいかに子どもと対話していくかが課題」と話し、「バリバリ働きたい気持ちはあるが、それがかなわない中で管理職をめざす将来像は今のところ描けていません」と本音を漏らす。

一人で仕事を抱え込まない「見せる化」を促す

会社側もケアはしている。伊東氏が「見識の広い人」と信頼を寄せる上司の中井英二氏は、「伊東さんは働く時間が限られる中、残業してここを詰めようとするのではなく、効率的に時間をやりくりして頑張っています。努力家で、上司の私が『C』ライセンスなのに、『A』を持つのだから素晴らしい」と評価する。

パワートレイン開発本部 副本部長 兼走行・環境性能開発部長 中井英二氏。「一人で仕事を抱え込まない『見せる化』を促しています」

「チームで仕事をしているので、どのエンジニアにも一人で仕事を抱え込まない『見せる化』も促しています。メンタル面の変化については、『週報』などで書かれた内容も参考にして対応します」(中井氏)

女性陣からは「マツダは残業ありきで仕事が進んでいく典型的な日本の会社」との声も上がるが、会社側も制度を整え、残業を減らす努力を続ける。

広島本社を取材したのは水曜日。取材後に乗ったタクシーの運転手さんが「今日はマツダの『定時退社デー』だから、18時前からこの道は混みますよ」と話す。ほかにも、コアタイムのない「スーパーフレックスタイム勤務」なども導入し、約8割が利用している。

「2020年に女性幹部社員数を現在(13年度比)の3倍に」を掲げたマツダにとって、労働時間のさらなる削減が、女性活躍の推進にもつながる。

「女性の背中をもう少し強く押す」と話す常務の藤賀氏に、以下の質問を投げかけたら、こんな答えが返ってきた。

「活躍する女性がもっと増えたら、マツダはどう変わりますか?」

「もっとお客さまに近づける、自動車メーカーになると思いますね」