日本は母親に求められるものが大きすぎる
【田原】日本からアメリカに環境を変えて、何か発見はありましたか。
【端羽】まず感じたのは、今まで私は遠慮していた部分があったんだということ。日本だと、何かにつけて「お母さんだから」と言われて我慢しなければいけなかったのですが、アメリカは母親が生き生きと活躍している。これはとてもいい刺激になりました。
【田原】ほお。日本とアメリカでは具体的にどう違いますか。
【端羽】たとえば私がゴリゴリ働いていると、母に「10時過ぎまで保育園に預けるなんて、子どもがかわいそうだ」と叱られるのです。母は専業主婦だったから特別にそう言ったわけではないと思います。日本では、お母さんに求められるものが大きすぎるのです。一方、アメリカはお母さんが普通に働いていて、まわりもそれを当然のように受け止めています。MBAで出会ったお子さんがいる女性は、どんなボランティアをしているかと問われたとき、「私はみんなよりすごいボランティアをしているわ。だって、子どもを育てているのだから」と答えていました。それを聞いて、「アメリカは堂々と言えていいな、本当はこんなに自由になんだ」と思いました。
【田原】MBAが終わって日本に帰国。離婚してシングルマザーになった。
【端羽】はい。ボストンで離婚を決めました。
【田原】帰ってきて起業するのかと思ったら、違いましたね。ユニゾン・キャピタルというファンドにお勤めになる。どうしてですか。
【端羽】MITに留学した2年間で、すごい人たちにたくさん会いました。彼らに比べると自分は起業の準備が全然できていませんでした。起業のための修業をするなら、経営に近い立場で企業と接することができるファンドがいいと考えました。ユニゾン・キャピタルは、会社を買収して、効率化をしたり新規事業を支援したりして買収先の価値を高め、売却してリターンを得るファンド業。ここなら修業ができると思って入れてもらいました。実際、投資前に立てた仮説をいろいろ試す機会が多く、勉強になりました。
自分で起業してリーダーシップを発揮します!
【田原】ここは5年でお辞めになる。
【端羽】5年経ったころ、会社から「若手としては優秀だが、リーダーシップが足りない」と言われまして。私は生意気だったので、「上が詰まっている会社じゃリーダーシップなんて発揮できません。自分で起業してリーダーシップを発揮します!」と言って会社を辞めてしまいました。家庭のタイミングもちょうどよかったんです。娘が中学受験を希望していたのですが、その手伝いをしてくれていた大学生の姪っ子の留学が決まってしまった。そうした事情も重なって、会社を辞めて起業するなら今かなと。
【田原】起業の具体的なプランはあったのですか。
【端羽】なかったです。何をするか、まず100個考えようという段階でした。結局、100個も書かずに40個で止まったのですが。
【田原】40個目がビザスク?
【端羽】いえ、紆余曲折があります。まずは会社に頼らずに生きる人たちを救えるサービスがいいなと考えました。私自身、組織で働くことに悩んできました。だから組織の看板がなくても、その人の個人の名前で稼げる仕組みをつくりたかったのです。具体的に浮かんだのは、「自分の経験×物販」です。たとえば「会計士歴10年の人が選ぶ××」とか、「熊本出身のビジネスパーソンが選ぶ熊本土産」というように個人のバックグラウンドとEC物販を組み合わせたら売れるだろうと。
【田原】おもしろそうじゃないですか。
【端羽】そう思いますよね。実際、アメリカは同様のサービスがあって流行り始めていました。ところが、ダメでした。知人の紹介で実際にEC事業をやっている方にアドバイスをもらいにいったら、1時間、コテンパンに言われてしまったんです。ファンドにいたので自分では事業計画をつくるのは得意だと思っていましたが、「配送は外に出すの? 自前なの? 何も考えてないね」「投資先で経験ある? その会社と今から君がやろうとしている会社で、業者が同じ料金でやってくれるわけがない」と痛いとこを突かれまして。
【田原】つまり机上の空論だと指摘されたわけだ。