敵が強いときは戦わない

まさしくその通りである。

「敵の戦力が充実しているときには守りに徹せ。敵のほうが強ければ戦うのを避ける」

これは交渉の原点である。「敵」というわけではないが、秘書時代、攻撃力の強さという点で、常に意識していたのが大手新聞の社会部記者だった。最近はコンプライアンス(法令順守)などという常識がマスコミにも浸透しているのか、激しい記者は減ったが、昔の記者は強かった。議員宿舎の取材の際など、ピンポンを鳴らしても政治家が出てこなければ、ドアが壊れるくらいたたき続ける。それでようやくドアが開いたら今度は閉められないように、隙間に足を挟み込み、家に入り込む。今、同じことをやったら不法侵入で訴えられるだろうが、政治家を攻撃するためなら何でもやるのが往年の社会部だった。

当時の印象が強いからか、何も悪いことはしていなくても「○○新聞社会部ですが」と電話がかかってくると、企業の広報部などでもそわそわドキドキしてしまうのではないだろうか。電話だけならまだいいが、社会部記者が会社に押しかけてきたらどうするか。「お引き取りください」といおうものなら「記者を追い出した」「謝罪から逃げた」とさらに炎上してしまう。

そんなときは、下手に反撃に出ようなどと考えず、守りに徹するしかない。総理秘書官時代、道路公団民営化を進めているときに談合事件が発覚し、公団本部に社会部記者が押し寄せた。私は公団幹部に「捜査当局より先を行け」と指示を出した。当事者として事実を積極的に公表し、反省する姿勢を示すことで、いち早く情報を得たいという社会部記者の本能に訴えて、騒ぎを収束させた。

しかし、会見などやらずに済むならしないほうがいい。企業の不祥事などの場合、事が大きくなる前に広報と担当部署が謝罪の書面を作成してメディアに配布してしまうのが一番だ。謝罪会見を求められたとしても法的に義務付けられているわけではないから、できるだけ無視したほうがいいだろう。