「香典で売れ残っているビールを買ってください」
「香典が欲しいのです。わたしが死んだと思って、そのお金で売れ残っているビールを買ってください」
そして、深々とお辞儀したのだ。そのとき、東京本部の大会議場が揺らぐかと思えるほどの喝采と、どよめきが長く続いたという。
樋口氏は3月に社長となるが、その時期、アサヒビールは新しいCI戦略に取り組んでいた。そこから生まれるのが、あの「スーパードライ」である。当初、辛口ビールというコンセプトは前代未聞で、社内でも首をかしげるスタッフが多かったらしい。だが、樋口氏は、計画にストップをかけなかった。発売は1987年3月17日。シルバーのラベルに黒のロゴ、赤で書かれた「スーパードライ」の文字は鮮烈だった。
時代にもまだ勢いがあった。国際ジャーナリストの落合信彦を起用したテレビコマーシャルも評判になり、アサヒビールの同年の業績が前年比135%、ビール4社の平均伸び率の5倍を記録する牽引力となる。他社も黙ってはいない。2匹目、3匹目のドジョウを狙って辛口ビールを投入。それが「ドライ戦争」とマスコミでは騒がれたが、結果的にはアサヒビールの1人勝ちに終わる。
運も、経営者に求められる要素というのであれば、樋口氏はまさに好例といっていい。社長になってほどなく、樋口氏は社員たちを前に、自分の右手で、左の二の腕をたたきながら「わたしはここの良さもさることながら、それ以上に強運の持ち主なのです。覚えておいてもらいたい。運も実力のうちだ」と豪語している。だから高杉さんは、小説のタイトルに“最強”を冠したに違いない。