かつて「経済一流、政治二流」と言われた日本だが、混沌とする現下の国際情勢の中、それに加えて「外交も国防も二流以下」といえよう。「北朝鮮の暴発」に晒される中、とるべき日本の選択肢とは何か――。
国際社会における「日本の役割」とは
私が『平成維新』という本を出版し、ゼロベースで日本のグランドデザインをつくり直そうと提唱したのは平成元(1989)年。当時、天皇崩御の喪が明けたばかりの竹下登首相と紀尾井町の料亭で会食して、本の内容を議論したのを覚えている。
竹下さんは私の提唱に対して、教師を外国人にする英語教育自由化など3点を除いて改革には全面的に賛成だという。不思議に思った私に、竹下さんは政治家になる前に中学で英語の教師をしていたからと解説してくれたのが、官房長官として同席していた小渕恵三元首相である。
あれから20年。改革らしい改革は何もできないまま、永田町では虚しい政局が繰り返され、霞が関は保身と腐心に明け暮れてきた。私自身、95年に東京都知事選に出馬して惨敗したし、「平成維新の会」という運動組織をつくって83人の議員を国会に送り込んでも、日本の政治は何一つ変わらなかった。
やることはやったし、金も使った。自分の能力ではもう打つ手なしだと諦めながら、それでもこの国の行く末を思うと忸怩たるものがある。そこで、いわば遺言のつもりで書いたのが、この6月に刊行された『最強国家ニッポンの設計図』(小学館)である。
この本の中で私は国論を二分するような5つのアジェンダ(取り組むべき課題)を提示して、「AとB、あなたはどちらなのか?」と読者に問いかけている。今後、責任政党に対して5つのアジェンダに関する政策を明確にするように働きかけ、生活者の立場で国家戦略を立案・具現化していくためのシンクタンクとして、「ザ・ブレイン・ジャパン(TBJ)」を設立することも宣言した(http://www.thebrainjapan.com/)。
前回は「日本の統治機構」の問題について解説した。引き続き今回も5つのアジェンダの一つである「国際社会における日本の役割」を取り上げ、さらに緊急を要する課題として日本の安全保障問題について考えてみたい。
「国際社会における日本の役割」とは何か。要するに地球環境や世界の貧しい人々に対して、あるいは世界の横暴な国に対して日本は何をするのか、ということだ。
よりグローバルなメンバーとして世界に貢献していくのか、それとも日本国内でやるべきことが山ほどあるのだからと一線を画してODAなどを通じて国際貢献していくのか――。前者がグローバリストの考え方(A)なら、後者は一国主義(B)である。
「あなたの税金の20%を、地球環境の問題や途上国の貧困問題など日本国外のために使うことに合意するか否か」と問われたらどう答えるか。恐らく、「それも厭わず」とグローバリストは答え、「我々の金は我々のために使え」が一国主義者のスタンスだろう。
「国のかたち」を定義する根本は、「憲法」である。国際社会における日本の立ち位置、役割というのも、本来ならきちんと憲法で規定していなければならない。しかしながら、現行の憲法にはそれがない。