その後、2014年12月に渡辺氏は社長に就任する。慰安婦報道、池上彰氏の原稿掲載拒否問題、「吉田調書」問題など、社は揺れに揺れていた。

そんな状況下で、渡辺社長は就任挨拶も兼ねて、多くの経営者と会うことになる。その中には渡辺氏のように、厳しい状況下で急遽登板した人もいた。どうやって会社を立て直したのかを彼らに尋ねると、共通して語られることがあったという。それは、「大きな問題が起きたときは現場が混乱し、モチベーションも下がっている。自分が出かけていって、話をすることが重要」ということだった。

ちょうどそのころ、朝日新聞は社員や読者と対話を図るという内容を含んだ「信頼回復と再生のための行動計画」を策定したばかり。渡辺社長も背中を押された気分になったという。

とはいえ、就任当初は経営陣への批判は強かった。毎回、十数名程度の社員を集め、各地で行われた対話集会においても、「経営陣はどう責任を取るつもりだ」と直接怒りをぶつけられることがあったという。何かアクションを起こさなければと思っていても、一歩を踏み出せない社員もいた。渡辺社長は粘り強く対話を続けた。

「私たちが起こしてしまった問題だけでなく、読者の『知りたい』にこたえることが、私たちの新聞社としての責務です。そのためには質の高い記事をつくり続けなければいけない。社員には、『萎縮している場合ではありません』と声をかけ続けました」(渡辺氏)

15年の春を過ぎたころには、少しずつ社員の意識も変わってきた。対話集会における発言も「会社は」「経営陣は」という主語から、「私は」に変化した。今、この状況において、報道に携わる自分が何をすべきかということについて考え始めたのだという。記者の中には、朝日新聞の販売所を自発的に訪問し、一緒に顧客回りをする者も現れた。

社員との対話集会は、現在では200回を超えた。また、読者との対話の場としては「車座集会」が設けられ、日本各地で開催されている。渡辺社長は、これまでに行われた30回ほどの車座集会のほとんどに出席している。

朝日新聞は一連の騒動後に「ともに考え、ともにつくる」をスローガンとして掲げた。対話集会や車座集会といったフェース・トゥ・フェースの対話だけでなく、紙面上でも読者の声を積極的に拾い上げるようにした。さらには、年間26万~27万件寄せられる問い合わせに関しても、該当部局に渡すだけでなく有効に活用できる仕組みを模索中だ。自ら先陣を切って対話に臨む渡辺社長。朝日新聞は生まれ変われるか。

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(村上庄吾=撮影)