故・黒澤明監督が撮影をあきらめた

武士層は皆、幼い頃から礼法で鍛錬を積んだ。それがどれほどのものなのか。故・黒澤明監督の逸話に、その一端がうかがえる。

「先代(三十世・清信氏)の頃です。映画のシーンに膝行・膝退(しっこう・しったい)の動作を使いたいからと、黒澤監督が何度かこの教場にみえられたのですが、『これは俳優にはできない』と、結局はあきらめられました」

膝行・膝退は、跪坐の姿勢から、片膝を立てながら前進あるいは後退する動作。礼法に則った膝行・膝退は、途中で動作を止めることなく、滑らかに進退する。筋肉を相当に鍛えていないと「膝行はできても、膝退はできない」という。

「畳に敷いた薄紙の上で行っても、薄紙がずれないくらい、武士の身体感覚は研ぎ澄まされていました」

それほどハイレベルな動作は無理でも、礼法の鍛錬法を日常に取り入れることはできないものか。宗家が「鍛錬というより、健康法のひとつとして試してみてください」と勧めるのが「練る足」の基礎練習だ。

練る足は、呼吸に合わせ、大きな歩幅でゆっくりと動く高度な歩行法。その基礎練習は、肩幅より少し広めに開いた両足を、膝を使わずに中央に引き寄せる。あるいはふだんの歩幅程度に前後に開いた足を、体に引き寄せる。それを繰り返すというものだ。3分程度続けただけでも汗が出てくる。

それがスムーズにできるようになったら、足を大きく前後に開き、後ろの足を前に送り出す方法を考え、試みるとよいという。

「しゃがんで立つという動作が、現代の生活では少なくなり、日本人の足腰は昔に比べるとかなり弱っています。日常の動きのなかで体を鍛える礼法の体の使い方は、現代人にこそ必要だと思います」

心正しく、体直くする。まず職場で椅子に座る姿勢から、これを心がけてみよう。


膝行・膝退
▼膝行・膝退
・跪坐の姿勢から左右交互に膝を立てて進むのを膝行、退くのを膝退と呼ぶ。ともに肩を振らない、尻が踵から浮かない、踵が開かないことが大切。
・小さい膝行・膝退は座布団に座るときや、人前に進む際に行う。
・大きい膝行・膝退は上体を振らず、足だけ出していく。足を上げるのと同時に、尻を上げて進んでいく。このほか、手をついての膝行・膝退もある。
▽「練る足」の基礎練習
・身体の内側を意識し、平行に踏んだ両足をゆっくり滑らせて中心に寄せる。内腿~体幹を鍛える。絶対に膝を使わず、畳で行うか、床ならスリッパもしくは乾布を足下に敷く。
・歩幅程度、前後に開いた両足を中心に寄せるバージョンもある。いずれも膝を痛めているときは控える。
 

座る(椅子)
▼座る(椅子)
・椅子の下座脇に立ち、勧められてから腰かける。姿勢、手や膝の位置は正座と同じ。やや浅く腰掛ける。座るときも立ち上がるときも、上体が前後に振れぬよう注意する。
・遠いほうの足から出し、もう一方の足をそろえたらすぐに横にスライド、前にそろえて前傾せずに座る。
・足を組んだり、斜めにそろえるのは身体の歪みを誘う。
 

※参考資料=小笠原清基『疲れない身体の作り方』、DVD『小笠原流礼法』

小笠原流礼法三十一世宗家 小笠原清忠(おがさわら・きよただ)
1943年、東京都生まれ。三十世宗家・清信の長男。92年、三十一世宗家を継承。慶應義塾大学商学部卒業。特殊法人勤務を経て東京都学生弓道連盟会長、儀礼文化学会常務理事、日本古武道振興会常任理事。伊勢神宮、熱田神宮、鶴岡八幡宮をはじめ各地の神社で流鏑馬・礼法・歩射行事を奉納するほか、全国で礼法の指導を行っている。
(若杉憲司=撮影)
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