大前の視点[4]
靖国問題の裏にある田中角栄と周恩来の手打ち
日中間に横たわる靖国問題の起点も1972年の日中国交正常化交渉、周恩来・田中角栄会談にある。
周恩来は日中友好条約を締結する前提条件として戦後賠償を求めたが、田中首相はすでに賠償済み(蒋介石の国民党政権に賠償を申し出たが、蒋介石はこれを断った)としてこれを拒否し、代わりにODA(政府開発援助)による資金援助を申し出た。世界第2の経済大国となった中国にいまだに日本がODAを供与する理由はここにある。つまり戦後賠償の一部であり、中国からすれば当然の償いなのだ。
しかし建前上、戦後賠償を放棄するとなれば中国としては大義名分が必要になる。そこで周恩来がひねり出したアイデアが、「中国人民も日本国民も、ともに日本の軍部独裁の犠牲者」という理屈であり、日中共通の加害者に仕立て上げられたのが東京裁判(極東国際軍事裁判)のA級戦犯だった。
東京裁判自体の正当性にも問題があるし、ABCという戦犯の等級は罪の単純な軽重ではない。軍部独裁の責任がどこにあるのかという議論もないまま、いわばA級戦犯を加害者に仕立てる形で中国と泥縄式に“手打ち”をしたのだ。尖閣問題の棚上げ同様、この合意についても日本国民は何も知らされていない。
▼軍部独裁=A級戦犯という中国の認識
その後、1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀されて「英霊」として奉られるようになる。1985年に中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝して以降、中国、さらには韓国の反発が強まり、日本の首相や閣僚の靖国参拝が外交問題化した。ここでもまた朝日新聞が批判報道をして火に油を注ぐことになった。中国からすれば、日中の共通の加害者であったはずのA級戦犯を奉った靖国神社を国民の代表である首相や閣僚が参拝するということは、日本国民全体が加害者側に与して先の戦争を正当化していることになる。中国人の歴史認識は「ナチス=ヒトラー」「軍部独裁=A級戦犯」なのだ。
しかし、日本人は日中友好の裏で交わされたこのような合意を知らないし、そもそもA級戦犯に対する歴史認識も中国人とは違う。だからなぜ中国が靖国問題であれほどエキサイトするのか理解できないし、「内政干渉だ」「英霊に罪はない」と反発すら覚えるわけだ。