文章を書いたり、話したりするのが苦手だ、という人は多い。その背景には、往々にして、書いたり話したりするには、それなりの「中身」があらかじめ頭の中になければならないという、極めて「まともな」思い込みがある。

私には、書くこと、話すことなんか何もない、だから、表現なんてできない、と言う人にしばしば出会うのである。

そんなとき、「脳は、書いたり話したりするまさにその際に、内容をでっち上げているんです」と言うと、「えっ!」と驚く人が多い。

書く前にあれこれ悩むより、何でもいいから書き始めてみるといい。(写真=PIXTA)

実際、自分の中に、あらかじめ何か「書きたいこと」や「言いたいこと」があって、それが外に出るのが表現なのではない。表現とは、極端なことを言ったら、その場で「ゼロ」から生み出されるものである。

だから、書いてみないと、あるいは話してみないと、自分が何を書きたいのか、話したいのかわからない。表現とは、気づいていない未知の自分との出会いなのである。

人間の脳は「口から出まかせ」を言うことが、様々な実験からわかっている。英語では、confabulationという。

例えば、「チョイス・ブラインドネス」と呼ばれる現象がある。2つの顔写真を見せて、どちらに好意を持つか聞く。その後で、手品のトリックを用いて、選んでないほうを、「こちらの顔ですね」と示す。すると、被験者はしばしば、それが自分の選んだ顔ではないことに気づかない。

ここまでは、不注意ということで理解できるだろう。ところが、さらに「なぜこの顔を選びましたか?」と聞くと、「彼女の表情が好きだから」とか、「彼の意志は強そうだから」とか、もっともらしい理由を言ってしまう。自分が選んだ顔ではないはずなのに!

このように、様々な実験によって、脳から出る言葉は、しばしば「口から出まかせ」であるという「残念な真実」が明らかにされているのだ。

それならば、それを逆手にとって、いわば開き直って、「口から出まかせ」を、創造性の種にしてしまえばいいのではないか。