30代で、当時の社長、五島昇の秘書を務めました。秘書といっても使い走りに近く、五島が自宅を出てから帰宅するまで傍らに張りついて、タイムキーパーの役回りもしていました。

一度だけ、五島主催の宴席に、五島を遅刻させてしまったことがあります。10分ほどの遅刻でしたが、五島は列席者に遅刻のお詫びを言うと、外で待つ私に知らせることもなく早々に退席してしまいました。恐らく自分が礼儀を欠く行為をしてしまったことにいたたまれなかったのでしょう。お招きするお客様に対する礼節と、タイムマネジメントの大切さについて、五島に叱責された失敗談ですが、五島の誠実さを実感した出来事でもありました。眼光の鋭さに潜む厳しさと、慈愛に満ちた優しい眼差しを併せ持った、スケールの大きな方だったと思います。

東急ホテルズ社長 高橋 遠氏

当時の私はまだ若く、五島から経営者としてなにかを学び取る段階ではありませんでしたが、この一件はいまも忘れられず、心に残っています。

その後、私は東急電鉄財務部に在籍した後、1999年に東急建設に出向しました。バブル崩壊後、資産デフレで窮地に陥っていたときです。取引先の金融機関から融資回収の要請を受けないようにすることが私の主たるミッション。その場しのぎの嘘はつかず、再建計画や、東急電鉄がどれだけ本気になって支援する用意があるかなど、一つ一つの説明に徹しました。

そして、2012年4月、東急ホテルズ社長に就任したとき、景気感応度の高いホテル業界は長期的な不振の中で喘いでいました。バブル崩壊にリーマンショック。なんとか需要が持ち直してきた10年度の末に、東日本大震災が起きてしまいました。従業員は極度の自信喪失状態にあり、「客室単価を下げないと売れない」という弱気なムードが蔓延していました。